ベーからの手紙      
  No.61 JUN.20. 2002
 
 元気ですか?
 ヨハンが全身カットをしてから15日、バリカンの刈り跡が
 少し段差になっていたところも、今はきれいに落ち着きました。
 暑い日や雨の日が続いているから、ヨハンのためには、
 早めにサマーカットしておいてほんとによかったと思います。
 
   スイス・アルプスのサン・ベルナール僧院で生まれたセント・バーナード犬。
   僕達の先祖は、初めから今のセント・バーナードのような姿をしていたわけではありません。
   「セント・バーナード」という名前も、そもそもはなかったんです。

   僕達の先祖は、人間のいろいろな仕事を手伝うために、アルプスのふもとで
   飼われていた犬達です。
   主な仕事は、しぼりたての牛乳が入った大きな缶や、たき木を積んだ荷車を引いて運ぶこと。
   彼らは、「working dog」 (使役犬・作業犬)と呼ばれていました。
   今からおよそ1000年前、イタリアとの国境を山越えする標高2475メートルの
   険しい道の途中に、ベルナール(Bernard)という修道士さんが僧院を造りました。
   (ここがフランス語を話す地域なので、「バーナード」ではなく「ベルナール」です。)
   17世紀になって、修道士達がふもとの町からワーキングドッグを何頭か、
   僧院へ連れ帰りました。
   彼らは、今のセント・バーナードよりも頭も体も小さく、スマートで、毛は短かったそうです。
   そして、僧院が雪に埋もれる長い冬の間、「山越えの遭難者あり」の連絡が入ると、
   修道士達はスキーをはいて、犬達と一緒に吹雪の中、救助へ向かいました。
   僕達の先祖が、得意の鼻で雪に埋もれた遭難者の匂いをかぎ分け、
   吠えて居場所を知らせるのです。
   救助隊が到着するまでの間、犬達が遭難者に寄り添って体をあたためていたという話や、
   20数人もの人を救ったという「バリー」(1800〜1814僕と同じ14才で息を引き取りました。)
   の伝説が人々の間に広まり、やがて「セント・バーナード」と呼ばれるようになりました。
   深い雪の中を救助に向かう時に、もし毛がフサフサと長かったら、体にこびりついた雪で
   体温が奪われていきますし、毛玉ができて後の手入れが大変です。
   元々の救助犬達は毛が短いタイプ、「スムース」でした。
   でも、人気と共に人間の好みも加えられ、少しずつセント・バーナードの姿は
   変わっていきました。

   僕達は、1884年にスイス・セント・バーナード協会が「スタンダード」、
   つまり「あるべき姿」として規定を作ったセント・バーナード犬です。
   今のヨハンは、毛を刈り取ってスムースみたいになり、
   少し祖先の姿に戻った感じかな?

   今月の30日、アルプスのサン・ベルナール峠に、スイス・イタリア・フランス、
   3つの国のセント・バーナード・クラブの人々が集まることになっています。
   サッカーの試合はイタリアチームも負けちゃったけど、イタリアのクラブの
   友人、Guido Zanella さんはこの準備で忙しくて、がっかりしているヒマも
   ないかもしれませんね。

                   今日はここまで、またね。 
                                 
Beethoven

少し毛が伸びてきた2代目ベー

イタリアの帽子をかぶったヨハン
ベーからの手紙      
  No.62 JUL.3. 2002
 
 元気ですか?
 毎日、毎日、雨。
 でも、長い毛をカットしてすっきりしている今のヨハンは、
 散歩の後の体のふき取りもバスタオル1枚ですむし、
 梅雨時の手入れも楽にできます。

   先月、ちょうどヨハンが訓練所で全身のシャンプー&カットをしている時間に、
   お店にヨハンを訪ねてきた女の人がいました。
   毛の長いラフ・コートの、メスのセント・バーナードと暮らしている方、
   仙台に引越してきたばかりだそうです。
   「ヨハンは今、訓練所です。」と聞くと、その方はご自分の悩みを話し出されました。
   「 しつけでほとほと困っているんです。
    犬舎の中にいる間はおとなしいんだけど、一旦外へ出すと興奮が止まらなくなり、
    散歩では引っ張られて大変。
    とうとう、綱を引いている私が転んで怪我をしてしまいました。
    そういう訳で、実は、訓練所に入れようかと考えていたところなんです。」
   おや、そうだったんですか?
   それでは・・・・、カットの最中のヨハンの写真も撮りたいし、一緒に行ってみましょうか?

   僕達セント・バーナードと長く、楽しく暮らすためには、家族となった人達に、
   本気で僕達と向き合ってもらわなければなりません。
   食事はやっぱりそれなりに食べますし、運動量も必要です。
   暑さ対策も考えてもらわなくちゃね。
   病気や怪我をしたら、車に乗って病院に行くだけでも大変だし、
   治療費もきっとかかります。
   そしてもう1つ大事なのは、人里離れた山の中で暮らしているのでもない限り、
   他の人間や他の犬と仲良くやっていけるように、しつけをしてくれることです。
   相手を驚かせるような声で吠えかかったり、大きな体で飛びついたりしたら、
   「セント・バーナードは恐い犬」と思われてしまうかもしれません。
   「犬が嫌い」という人は、やっぱりいますよね。
   それは仕方がないです、人それぞれだから。
   そんな人達ともうまくやっていくために、僕達も回りに迷惑をかけないように
   気をつけなくちゃ、と思います。

   その方の話は続きます。
   「昨日も、散歩の途中で出会い頭に他の人にいきなり飛びついてしまって・・・。
    もう、すみません、すみません、って謝ってばかりなんです。」
   きっと、その子は人なつこい犬なんだね、僕はそう思うよ。
   でも、飛びつかれた相手は・・・、そうは思ってくれないかもしれないね。
   だって、小さな犬が足元にじゃれつくのとは訳が違うもの。
   さぁ、訓練所に着きましたよ。
   ちょうどお昼休みだ。
   ヨハン、訓練士のお兄さんと基本訓練を見せてくれるかな?
   人のそばを離れずにゆっくり歩く、「待て」の声でじっと待つ・・、そうそう、その調子。
   「きちんとしつけがされた犬って、見てて気持ちがいいですね。」
   全く引っ張ることのないヨハンの姿を見て、その方の気持ちは決まったみたいです。
   「訓練所にお願いすることにします。
    それと、ヨハン君の全身カット、それいいですね。
    うちの子も、入学したらカットしていただきます。」

   訓練にも、いくつかの方法があります。
   犬が、数ヶ月間訓練所で寄宿生活をして勉強する方法、
   飼い主さんと犬が、定期的に訓練所へ通う方法、
   訓練士さんが、その家へ通って勉強させる方法。
   このメスのセント・バーナードは、僕と同じように寄宿生活をするそうです。

                   今日はここまで、またね。 
                                 
Beethoven
ベーからの手紙      
  No.63 JUL.18. 2002
 
 元気ですか?
 この間の台風の時、毎日通る大橋の下の広瀬川で、
 流されそうになってしまった人達がいたんですってね。
 広瀬川は、大雨が降るとあっという間に、茶色く濁った険しい川になります。
 橋の上から、大きな木が流されていくのが見えました。

   日曜日の夜から明け方は、雷がたて続けに鳴り響きました。
   こんな時、僕だったら、どうしていいかわからなくて頭が混乱しちゃいます。
   恐くて、恐くて、じっとしていられなくなるんです。
   昔、2階の自分の居場所から、雷の音があまりにも恐くて、お客様がいらっしゃる時に
   1階の店へ駆け下りてしまったことがあります。
   お客様はびっくりして、目を丸くして僕を見ていました。

   アメリカから日本へやって来た僕のおじいちゃんは、僕よりも大変だったみたいです。
   「この犬は非常にジャンプ力がある。訓練性能がいいんじゃないのか?」
   新しく飼い主になった方は、日本に着いてからのおじいちゃんのジャンプの高さに感心し、
   訓練士さんにこう伝えたそうです。
   その頃の訓練所は3階建て、校庭に面して犬達の部屋が高い格子で仕切られていました。
   ある晩のすさまじい雷と大雨、恐怖にかられた僕のおじいちゃんは、
   高い天井と格子のわずかな隙間から必死で部屋を抜け出し(信じられない!)、
   通路を駆け抜け、階段を駆け下り、どしゃ降りの校庭へ飛び出してしまったそうです。
   さぁ、大変!
   訓練士さん達も夜の雨の中へ飛び出して、なんとかおじいちゃんを取り押さえることが
   できました。
   気の毒な僕のおじいちゃん、ジャンプ力があるんじゃなくて、
   実は「ガンシャイ」だったんだね。
   大きな物音に対する、どうしようもない恐怖心。
   これは、残念ながら子供から孫へと伝わり、僕も、大きな音を「恐い」と感じる気持ちを
   止められなかったんです。

   さて、話はヨハンです。
   来たばかりの頃のうわべだけの愛想の良さや、少し戸惑った様子も
   次第に消えていき、すっかりうちに馴染んだように思えた頃、
   ヨハンは、ママと広瀬川沿いを歩いていました。
   突き出た木の枝をよけようとして、ママはヨハンの後ろに回る形になりました。
   ママが腕にかけたバッグ(ウンチを取る用意が入っています。)と枝がこすれて、
   キュキュキュッ、と耳ざわりな音がしました。
   その途端!ヨハンは身構えてバッと後ろを振り向き、キョロキョロと辺りを警戒しました。
   目は恐怖で見開かれています。
   「ヨハン、大丈夫よ、どうしたの?」
   ママが声をかけ、体をポンポンと軽くたたいても、ヨハンの興奮は収まりません。
   ゆっくり歩きだすと、時々後ろを振り向いては、全身を緊張させています。
   「もしかすると、ヨハンもガンシャイ?」
   まずは、こう疑いますよね。
   でも、それから注意してヨハンを観察すると、憎らしい位大きな物音には動じないんです。
   交差点に座り信号待ちをしていて、目の前を大型ダンプカーが爆音をたてて通り過ぎても、
   バイク軍団が異様なクラクションを鳴らしながら行き過ぎても、平然とした顔。
   猛スピードの風圧にも、びくともしません。
   「すると、特定の音に対するガンシャイ?」

   同じようなことが、もう1度起きました。
   再びヨハンの背後、ママの雨合羽と枝がぶつかり、ガガッと音が・・。
   ヨハンは飛び上がり、用心して後ろを見回し、ママのなだめを聞こうとしません。
   そして3度目。今度は、一緒に歩いていたひろちゃんが、後ろからポン、と
   ヨハンの肩のあたりをたたきました。
   ヨハンの恐怖がまたやって来ました。
   脇へ飛びのき、周囲に目を配り、まるで自分の身を守ろうとするかのように構えています。
   ヨハン!前に何かあったんだね。 何かを経験してるんだね。
   君がそんなに恐がるような、おびえるようなことを。
   後ろから、何かされたのかい? いったい何があったんだろう?
   それは・・・・、残念ながら僕達にはわかりません。
   わかっているのは、去年、訓練所に連れてこられた時、ヨハンはやせていた、ということ。

   でも、ご安心下さい。
   うちの家族になって7ヶ月、ヨハンのこの恐怖心も今は影を潜めています。
   それどころか、僕よりもどんどん大きな顔をするようになって、
   「本来のヨハンの姿」がすっかり腰を落ち着けたみたいですから。

                       今日はここまで、またね。 
                                 
Beethoven
ベーからの手紙    
  No.64 AUG.6. 2002
 
 元気ですか?
 久しぶりに、会津のおじさんの家へ行ってきました。
 両脇に田んぼを見ながら車が進むと、なつかしいような緑の匂い。
 あぁ、あの家の屋根が見えてきた。
 会津へ来ると、いつも心がほっとします。

   ヨハンにとっては初めての長距離ドライブ。
   大きな折りたたみ式の犬舎に、食器とドッグフード、クーラーボックスには
   鶏肉とビーフジャーキー、蚊取り線香、バスタオルを数枚(シャワーを浴びた時や
   ヨダレがひどい時に使います。)、散歩用バッグ(ブラシやクシ、ビニール袋と
   ティッシュペーパー、万一のための薬が入っています。)・・・・。
   1泊するだけなのに、ヨハンの荷物はこんなにたくさん。
   車が庭へ入って行くと、ほら、あそこ、井戸水が涌き出てるでしょ。
   あの水がたまらなくおいしいんだ。
   磐梯山という山から流れてきてるんだって。
   ヨハンが車を降りた。 水の方を見てる。 迷わず歩いていく。
   おいしそうに飲んでる! 冷たいだろう?
   「おう、ベートーベンは、いっつも着くとすぐにこの水飲んでたんだぞ。」
   おじさん!ちっとも変わらないね。
   夜中に、外で寝ている僕の蚊取り線香が消えていないか、心配して見に来てくれたっけ。
   ヨハンは今夜、いつもと違う場所で落ち着いて眠れるかな?

   ・・・・・だめだ!今晩はみんな眠れない。
   ガターン、ドタン、バタン!ガタガタッ・・・・フンッ。
   おじさんも、おばさんも、おじいちゃんも、ヨハンの立てる大きな物音に、
   タオルケットを頭からかぶっています。
   そうか、ヨハンはこの犬舎で夜を過ごすのは初めてなんだ。
   僕は小さい時から、遠くのドッグショーに出るために夜通し車で走り、
   折りたたみ式犬舎で眠るのには慣れていました。
   のびのびと体を伸ばせなくても、立とうとすると頭がつかえても、我慢、我慢。
   仲間の犬達もみんなそうしてるんだから。
   結局ヨハンは、「こんなに狭くちゃ眠れやしない。」と、一晩中文句を言って
   目を覚ましていました。

   次の日は、朝から親戚の人達がたくさんやって来ました。
   ヨハンは、蔵の前でのびのびと手足を伸ばし、お坊さんが唱えるお経を聞きながら、
   気持ち良さそうにようやく眠りにつきました。
   ヨハンを見て、親戚の人がこんな話をしました。
   「うちの近くでもセント・バーナードを飼っている家があるけど、
   散歩してるのを見たことがない。いつもオリに入れっぱなし。
   ウンチも下にいっぱい。エサは、鍋から残り物をガバッとあけて食べさせてる。
   体は毛玉っぽくて、この犬と全然違うよ。」
   こういう話を聞くと、ちょっと悲しくなります。
   そのセント・バーナードも、オリから外へ出て、思いっきり走り回ってみたいだろうな。
   ヨハン、出かけた時は、みんなに迷惑をかけないように、狭い犬舎でも我慢しなくちゃ。
   そうじゃないと、留守番させられちゃうよ。

   田舎の空気をたくさん吸って、おいしい水をたくさん飲んで、
   あぜ道を散歩して、子供達と遊んで、すっかり疲れたヨハンは、
   帰りの車の中であゆちゃんとひろちゃんと一緒に熟睡しています。
   とても暑かったけど・・・でも楽しかったろ?

                   今日はここまで、またね。 
                                 
Beethoven
ベーからの手紙      
  No.65 AUG.19. 2002

 元気ですか?
 今年の仙台は、とてもとても暑い夏を経験しました。
 でも、この頃はうそみたいに涼しい日が続いています。
 お店の夏休みは、もっと涼しい所へ、山形蔵王へ泊まりに行きました。


   蔵王の山をバックに、首に樽をつけたヨハンの写真を撮って、イタリアへ送ろう!
   6月30日、僕達セント・バーナードのふるさと、スイス・アルプスのサン・ベルナール峠に
   たくさんの仲間が集まりました。
   スイス・フランス・イタリア、3ヶ国のセント・バーナードクラブの人達が、
   愛犬と一緒に山を登って来ます。
   ベルナール僧の銅像や救助犬達が生活していた僧院の前に立ち、彼らが走り回った
   アルプスの山道を歩き、セント・バーナード犬の歴史を振り返り、
   先祖の誇り高い血の流れを確かめ合います。
   アルプスへヨハンと駆けつけることはできないけれど、山で写真を撮って送ろう。
   パパは、スイスの樽とイタリアの樽を抱えて蔵王へやって来ました。
   ところが・・・・、この日、山の上には真っ白く霧が立ちこめ、
   山頂を目指すゴンドラも霧の中に飲みこまれていきます。
   ヨハンにポーズを取らせても、どうも背景がサマになりません。
   残念だけど、山の天気はしょうがないですよね。

   次の日は、山を下りて宮城蔵王のふもとへ向かいました。
   別荘地の中に見えてきたのは、犬達のための運動場と温泉。
   今日は「夏の運動会」です。
   ラブラドール・レトリバー、ボーダー・コリー、ダルメシアン、ベルジアン・シェパード、
   シェットランド・シープドッグ・・・、いろんな種類の犬達がグラウンドを
   軽やかに駆け回っています。
   到着した時は、ちょうどお昼休み。
   ヨハン、仲間に入れてもらおうよ。
   「ハードル競技の練習をする人は、ここに並んで順番を待って下さい。」
   いいかい、ヨハン、1〜12まで番号順にハードルを跳び超える。
   途中で、真ん中のタイヤを飛んでくぐり抜けるんだ。
   サーッとかっこ良くね。ほら、あの犬みたいにさ。
   さぁ、君の番だ、行け!
   跳べる、跳べる、初めてにしては上出来さ。
   難関の輪くぐりはどうだ? 体が・・・通った!
   思ったよりも体が軽いね。 よくやった、ヨハン。

   でも、用心しろよ。
   まんざらでもなさそうな、パパのあの顔つき。きっと何か思いついたんだ。
   「まったく初めてで、ここまでできたんだろ。
    これから練習を続けていけば、もっとうまくなるよ。」

                            今日はここまで、またね。 
                                   Beethoven
   追伸
    たった今、イタリアから荷物が届きました。
    開けてみると・・・、ワァー!サン・ベルナール峠で
    6月30日に売っていたTシャツだ。
    「30・06・2002」の日付と「 Barry 」
    「Grand Saint Bernard 」 の文字、
    そして、セント・バーナードの顔がプリントされています。
    さっそくヨハンに着せて写真を撮って、イタリアへ送ろう!
                                
ベーからの手紙      
  No.66 SEP.2. 2002

 元気ですか?
 首に救助用の樽をつけたセント・バーナード犬の姿。
 実際には雪山で救助をすることはない今でも、
 これは僕達のイメージになっているみたいですね。


   「ホームページで樽の写真を見ました。 どうすれば手に入りますか?」
   セント・バーナードと暮らしている人達から、時々こんなメールが届きます。
   日本でもスイスの樽を売っているお店があるそうだけど、
   何万円もする、という話を聞きました。
   「残念ながら、日本での入手方法はわかりません。」
   去年の秋、イタリアのセント・バーナードクラブと知り合うまでは、
   パパとママはこう返事をしていました。
   でも、イタリアとのお付き合いが始まってから、イタリアの樽を日本へ送ってもらう
   橋渡しをするようになりました。
   『まず、木の職人が木を削って樽を仕上げる。いくつか出来上がったら、
   金具職人の元へ送る。そして、首から下げられるように革と金具を取り付けるのさ。
   完成したらクラブへ届けられる。
   どちらも老職人だからね。作るのに時間がかかるんだ。
   でも、芸術品だぜ。きっと気に入ってもらえる。』

   イタリアの友人、グイド・ザネーラ氏へ、パパはまた、メールを送りました。
   「日本のセント・バーナードファンから新しい注文だよ。
    樽が合計9個、在庫はある?」
   『今、手元ににあるのは4個だけだ。作るのに30〜40日かかるかな。
    でも心配するな。きっとすぐに着くさ!』
   イタリア風の時間の流れにも慣れました。

   ワールドカップサッカーのイタリアチーム ”アズ−リ”が仙台でキャンプをしてから、
   グイドとパパとの距離は、これまでよりも近くなったような気がします。
   『昨日の夜、イタリアのテレビで仙台の街を紹介してた。いい街じゃないか。
    ”アズーリ”のTシャツとサッカーマガジン、ありがとう!うれしいぜ。
    しかし、おい、日本の雑誌ってのは変だな。
    俺達にとっては最後のページが1ページ目なのかい?』
   そして、”アズ−リ”のブルーのTシャツのお返しに送られてきた、
   アルプスのサン・ベルナール峠でのイベントの黄色いTシャツが、
   うちの店のショーウィンドウに飾ってあります。
   イベントに参加したヨーロッパのセント・バーナードの飼い主さん達は、
   みんなこのTシャツを着ていました。
   『この日のために作ったTシャツは全部で140枚、完売さ。
    君の他には誰にもプレゼントしていないし、これからもそのつもりはない。
    つまり君は、当日サン・ベルナール峠に来ていないのにこのTシャツを手に入れた、
    ただ1人の男ってわけだ!』
   「そりゃ最高だ。世界でただ1人だね。さっそくヨハンに着せるよ。」

   簡単な英語の読み書きができて、そしてちょっぴりユーモアがあれば、
   あなたにもできます。
   外国の人々とのメールのやり取りが。
   思い切って自分でやってみると、新しい世界が開けるかもしれませんよ。

   この1年で、イタリアへ30個位の樽を頼みました。
   樽を手にすると、コツコツとていねいに作っている
   イタリアの年老いた職人さんの姿が目に浮かんできます。
   手元に届くのを待っている方々、きっともうすぐです。

                   今日はここまで、またね。 
                                  Beethoven

ベーからの手紙      
  No.67 SEP.17. 2002
 元気ですか?
 ♪ Happy birthday to you, Happy birthday to you,
         Happy birthday dear Hiroshi ♪
 9月14日、午後8時半頃、コンサートを終えたばかりの
 ラリー・カールトン、ハーヴィー・メイソン、
 ネーザン・イースト、そしてボブ・ジェームス、
 4人のアメリカのスター・ミュージシャンが、楽屋でパパのために
           「ハッピーバースデー」を唄ってくれました。
                    「最高の誕生日だ!」

   13年ぶりの再会でした。
            『ヒロシ!』 「ボブ!」
   店の中でがっちりと握手をした2人。
   13年の間には、ユニバーサル社との訴訟という一件があったけど、
   2人の間にあったものは only Heart 、ただ心だけ、でした。

   土曜の午後、最初に1人で店に入ってきたのは、体格のいい黒人の男性でした。
   『わたし、ボブ・ジェームスの友人、ネーザン・イースト。ヒガシさんです。』と
   片言の日本語で笑顔でおどける彼。
   ガラスの扉の向こうを見ると、髪とあご髭がだいぶ白くなった男性が
   こちらへ歩いてきます。
   こっちを見て、彼の顔がほころびました。
   ボブ!!  あゆちゃんがまだ赤ん坊で、僕がまだ若かった時、店に来てくれて、
   そして、その晩のコンサートにパパとママを招待してくれた、アメリカのジャズピアニスト。
   その頃は、まだインターネットの時代ではありません。
   航空便の手紙のやり取りでした。
   『娘のヒラリーがブロードウェイ・ミュージカルのオーディションに受かったんだ。
    日本公演もあるんだけど、娘の舞台を見に東京に行けないかい?』
   知り合った翌年の、ボブからの嬉しそうな手紙。
   残念ながらその公演には行けなかったけれど、舞台の初日、
   ヒラリーへ祝電を打ちました。
   ボブは最近、愛する娘ヒラリーとのデュエット・アルバムを発表しました。

   店の2階へ上がってきたボブは、14才のあゆちゃんと13年ぶりの握手をしました。
   『ピアノがあるんだね。なにか弾いてくれる?』
   ちょうど練習をしていたひろちゃんが、バッハを弾き始めました。
   左手のバス(低音)が響くと、『オオ!』
   ボブの目がキラキラ輝き、こぶしでリズムを取り出しました。
   『いいね。もう1曲たのむ。』
   彼はピアノの真ん前に席を移すと、ひろちゃんの手の動きをじっと見ていました。
   『グレン・グールドを思わせるよ。』
   ワーオ!ボブさん、うちの家族はグールドの大ファンなんですよ。
   12月に、ひろちゃんが日本人ピアニスト、小山実稚恵(こやまみちえ)さんの
   コンサートで彼女と連弾する、と聞いたボブは、その曲の楽譜を手にしました。
   『フォーレ(フランスの作曲家)の”ドリー”か。ずっと昔に私も弾いたよ。
    よし、ヒロミ、今2人で弾こう。』
   とても大きな手と小さな手がぶつかり合いそうになりながら、”ドリー”の
   演奏が始まりました。ちょっぴりジャズ風の・・・。
   『今夜の僕らのコンサートに来てくれる?』

   1100席のホールは、熱烈なファンでいっぱいでした。
   熱気と歓声の中で唄うネーザンの経歴をパンフレットで見て、
   ママは顔が赤くなったそうです。
   「フィル・コリンズ、エリック・クラプトン、マイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストンetc
   と共演、数々の賞を受賞・・・。」
   そんなギタリストに、ママはこう質問したんですから。
   「あなたも、何か楽器を演奏するんですか?」

   そして最後の1曲、ボブにスポットライトが当たりました。
   ピアノソロが静かなメロディーを奏で始めます。
   ・・・・・フォーレの”ドリー” !!
   ボブは客席を見て微笑んで、ピアノの隣に立つネーザンは、
   ボブを見てニヤッと笑いました。
   やがてピアノはバッハ風に曲調を変え、そして一気にジャズの世界へ流れていきました。

   終演後、ボブはひろちゃんの目を見ながら、こう言いました。
   『あれは、君のために弾いたんだよ。
    君の12月14日のコンサートのこと、覚えておこう。
    私も、12月21日、東京でケイコ・マツイ(松居慶子)と連弾するんだ。
    いつか、君と東京で演奏したいね。
    たくさん、たくさん、練習しなさい。』
   今夜4人は、東京のブルーノートで演奏します。(9月16〜18日)

   ごく簡単な英語が話せて、そしてちょっぴり勇気があれば、あなたにもできます。
   外国の人々とのお付き合いが。
   心があれば、大丈夫、通じます。
   思い切って自分でやってみると、素晴らしい出会いがきっとありますよ。
   Thank you, Mr.Larry Carlton, Mr.Harvey Mason, Mr.Nathan East and Mr.Bob James !!
               See you again !

                   今日はここまで、またね。 
                                  Beethoven

 13年前、Beethovenのトレーナーを着たボブ・ジェームス氏

four-hand play with Bob (連弾)
four-hand piano partner
ベーからの手紙      
  No.68 OCT.1. 2002 
 
 元気ですか?
 「セント・バーナード犬を食べるな! 彼らは我々の誇りだ。」
 去年ヨーロッパで行われた、抗議のデモ行進や世界各地での
 署名運動は、その後どうなってるんでしょうか。
 日本では、あまりニュースにならなかったみたいですけど。

   『日本人も、犬肉を食べるのかい?』
   イタリアの友人からの質問です。
   アジアの一部の国で、たくさんのセント・バーナード犬が食べるために飼育されている、
   そして、その方がおいしいからという理由で、逆さに吊り下げられて
   生きたまま皮を剥がされている、というニュースと映像に、
   日本も同じアジア、彼は不安を感じたのかもしれません。
   「犬は食べないよ。日本人は知っての通り、昔からクジラを食べていた。
    日本人の祖先は、長いこと牛は食べなかった。
    その代わり、クジラやたくさんの魚を食べてきたんだ。
    これは、日本の歴史だ。
    多分、犬を食べるのも、その国の食の歴史なんだろう。
    ただ、こう思うよ。彼らは、伝統的な自国の食用の犬肉を食べればいいのであって、
    セント・バーナードを食べるべきではない!」

   早く大きくなる、1度にたくさんの肉が取れる。
   犬肉を食べる習慣がある国では、ここ数年セント・バーナードが注目を浴びているそうです。
   パパとママは、ふと、あるせりふを思い出しました。
   「この犬は、○○(アジアの他の国)へ売ってしまえ。」
   以前、僕達セント・バーナードの繁殖をしていた人の言葉です。
   セント・バーナードとして日本で生まれても、顔や体の模様がきれいじゃなかったり、
   売れ残って引き取り手が見つからなかった子犬達は、
   「売ってしまえ。」の判決が出ると、アジアの他の国へ送られることがありました。
   もしかすると・・・、あの頃旅立って行った仲間の子供達が向こうの国で増えて、
   体が大きいからと重宝されているんじゃ・・・・?

   顔が真っ白で生まれてきても、顔の左右の模様がちぐはぐに生まれてきても、
   「セント・バーナード」として愛情を注いで、大切に育てている人達は、
   世界にたくさんいます。
   でも時には、そういう子犬達が悲しい運命をたどることもあるんです。
   病気の遺伝もあります。
   生後1〜2ヶ月のぬいぐるみみたいな子犬の時には、なかなかそれはわかりません。
   成長すると共に、精神的な病気や骨の病気が見つかる仲間もいます。
   スイスのセント・バーナード協会では、大型犬によくある骨の病気から僕達を守り、
   病気の遺伝を防ぐために、定期的に股関節のレントゲン写真を撮ることを義務づけています。

   こんなことがありました。
   訓練所に預けられたセント・バーナードに、生まれつきの股関節の病気があり、
   普通に歩くのが難しいことがわかりました。
   「これは遺伝性の病気」と聞いた飼い主さんは、その犬を繁殖した人に抗議しました。
   「うちでお宅に渡した時は病気はなかったよ。
    訓練所の管理が悪いからそうなったんじゃない?」
   怒りのやり場がなくなった飼い主さんは、「そんな犬はいらない。」と見捨てて行きました。
   その犬が、その後、どうなったのか・・・・、パパとママも知らないそうです。

   どうか、憬れだけで簡単にセント・バーナードを家族にしないで下さい。
   僕達は、アニメや映画の世界にいるわけではありません。
   子犬を繁殖している人にも、いろんな目的の、いろんな人がいるみたいです。
   あなたが本当にセント・バーナードと暮らしたいと思うのなら、
   しっかりと現実を見つめて、・・・・そして飛びこんで来て下さい!

                         今日はここまで、またね。 
                                  Beethoven


     PS.
     イタリアの友人から、悲しい知らせが届きました。
     「私のたった1頭のセント・バーナード、ガストンが死んでしまった。
      10才だった。10才は、バーナードとしては確かにいい年だ。
      でも、しかし、あまりにも・・・・。」
                 ガストンの安らかな眠りを祈ります。
ベーからの手紙      
  No.69 OCT.16. 2002

 元気ですか?
 「11月10日、千葉で会うのを楽しみにしています。」
 セント・バーナードと暮らしている人達と合言葉のようになっている、
 メールでの挨拶です。


   来月の10日、千葉県でセント・バーナードだけのドッグショー(「単独展」と言います)が
   開かれます。
   今、日本にあるセント・バーナードクラブは3つだけ、
   千葉・群馬・北九州の3ヶ所(2002年10月現在)です。
   クラブを維持していくのは、なかなか大変です。
   クラブ員となる犬の頭数を揃えて、定期的にショーを開催し、飼い主である人間達には
   みんな仲良くしてもらわなくちゃいけない。
   ショーを開けば、審査の結果に不満のある飼い主さんも出てきます。
   僕がドッグショーで活躍していた頃は、北海道・青森・仙台を初め、セント・バーナードクラブは
   各地にもっとたくさんありました。
   日本のセント・バーナードの数が、今よりもずっと多かったんです。

   そして、インターネットなんてなかった時代、遠くに住む仲間と
   すぐに知り合うことはできませんでした。
   ドッグショーがあると、マイクロバスやトラックに人間達とセント・バーナード達が乗り込んで、
   遠くの会場へ車を走らせました。
   犬の仕事のプロの人も、副業にしている人も、アマチュアの人も、みんながショーに自慢の犬を
   登場させ、いい成績を獲るために真剣な表情になりました。
   ショーが終わると、1日を一緒に過ごした大勢の人達とその土地のおいしい物を食べるのが、
   パパとママのもう1つの楽しみだったみたいです。
   僕達は車で待ちぼうけでしたが・・・・。

   今は、ドッグショーの姿も変わったんですね。
   その日のために、出場する犬を磨き上げ、上位入賞を目指すのは同じです。
   昔と違うのは、会場に集まって来る犬達とその飼い主さん達です。
   僕の時代は、回りはみんなショーに出場するライバル、ショードッグでした。
   最近は、インターネットで知り合った仲間達が、みんなと顔を合わせて、
   その日を楽しく過ごすために遠くからもやって来ます。
   パパもママも、あゆちゃんもひろちゃんも、そしてヨハンも、
   パソコンの画面だけのお付き合いで、まだ1度も会ったことのないバーナードの仲間達と
   ようやく会えるのを、今から楽しみにしています。
   昔の仲間も、その日駆けつけてくれる予定です。
   ショーに出場するヨハンの走り込みも始まりました。

   「来年は、うちのクラブはショーをやらないと思う。
    だから今年は、最後にみんな揃って記念写真を撮ろうよ。」
   千葉のセント・バーナードクラブの代表の方が、こう言ってました。
   そう、ショーの結果はともかく、1日の最後は
   たくさんのセント・バーナードの集合写真で締めくくりましょうね。

                       今日はここまで、またね。 
                                  Beethoven

ベーからの手紙      
  No.70 OCT.28. 2002
 
 元気ですか?
 僕のこのホームページは、毎日たくさんの人が見て下さっています。
 毎日、世界のいろんな国から、僕のところへ来てくれます。
 僕の手紙を読む方、パパにコーヒーの注文を下さる方
 日本語が読めないから写真だけを見る方・・・。
 うちの家族とのお付き合いも、コーヒーで、音楽で、
          そしてセント・バーナードで、といろんな方々がいます。
          今日の手紙では、その中で、セント・バーナードと一緒に暮らしている方に、
          僕からお伝えしたいことがあります。

   
   僕のパパとママがこれまでに家族にしたセント・バーナードは、順番に1頭ずつ、
   1代目のベートーベン、2代目のベー、つまり僕、そしてヨハンの3頭だけです。
   でも、長い年月ドッグショー巡りをしながら付き合ってきた僕の仲間達は、
   本当にたくさんいます。
   夜中に車を走らせて遠くのショーの会場に着き、朝早くみんなを運動させてから
   朝ごはんを食べさせる。
   そしてブラッシング、ヒゲや耳の中の汚れのチェック。
   ショーの出番が近づいてきたら、ポーズを取ったり、一緒にきれいに走る練習。
   同じセント・バーナードでも、体の作りや性格はみんな違います。
   走るのが得意か、体が重くて苦手なのか、それによって人(ハンドラー)の走り方や
   引き紐(リード)の持ち方も変えます。
   立ってポーズを作る時は、前脚を開いて胸の幅を広く見せたり、
   後ろ足の筋肉の具合によって立たせ方が変わってきます。
   審査員に体を触られる時は、臆病な性格だったら声をかけてなだめ、
   反対に気性が荒い犬は、リードをグッとしめて緊張感を伝えます。
   その日、会場で初めて顔を合わせる犬もいます。
   名前を呼んで声をかけた途端、唸って飛びかかられて
   怪我をしそうになったこともあるそうです。
   パパとママは、セント・バーナードだけではなく、ボクサー・レトリバー・柴犬・・・、
   他の犬種のハンドリングも経験しました。
   でも、僕のパパとママは犬のプロではありません。
   だから、ハンドリング料(お金)をいただいたことはありません。
   2人が、ただ好きでやっていたことです。

   そんな2人が、なぜ長い年月、犬の世界のたくさんのプロの人達とお付き合いを
   してこられたんでしょう?
   それは1つには、いつも一緒に行動していた、僕が卒業した訓練所の皆さんが防波堤に
   なってくれていたからだと思います。
   日本の犬の公認の血統書を発行するJKC(ジャパン ケンネル クラブ)の
   会報を見て下さい。
   毎月必ず、「暴力団関係者の排除にご協力下さい。」という呼びかけや、
   「処分の対象となる行為」についての説明があります。
   毎月掲載されるのは、犬の世界にそういう人達が入りこんでいるのが事実だし、
   長い年月、いろんなトラブルが絶えないからです。
   2つ目のわけは、僕のパパとママはその危険さを知っているからこそ、
   引いてある線を踏み越えないようにしてきているからだと思います。

   向こう側へ踏みこもうとすると、「犬が好き」だけではすまなくなることが
   あるかもしれません。
   もしもパパが、コーヒーのプロの人同志の境界線を越えて踏みこもうとしたら、
   それもきっと同じことでしょう。
   犬のプロの人達は、犬で生活をしているのです。
   生きていくためには、人は皆必死なはずです。
   どうか、僕の話に耳を傾けて下さい。
   長い間プロの人達とお付き合いしてきたパパとママだからこそ、
   わかることもあると思います。
   こんなことを言わなくちゃいけないのはとても残念だけど、
   犬の世界の裏側は、皆さんが考えているよりも怖い部分があるのかもしれません。
   今は、インターネットですぐにいろんな情報が手に入るらしいけど、
   読んだだけで、それが全部あなたの知識だと思い込んでほしくないんです。
   僕達は、生きています。

   これまでにも、線を踏み越えてしまって、そしていつのまにか
   犬の世界から姿を消してしまった人達がいるのを、僕は知っています。
   みなさんには、これからずっと長い間、
   僕達セント・バーナードを愛し続けてもらいたいのです。

                   今日はここまで、またね。 
                                  Beethoven