ベーからの手紙      
  No.71 Nov.14. 2002
 元気ですか?

 日曜日、千葉県の利根川が見える公園へ行ってきました。
 セント・バーナードだけが出場するドッグショー、
 ショーへの申しこみは113頭、
 その他に、みんなに会いに遊びに来た仲間達もいます。

   土曜の朝の天気予報を聞いて、パパは慌てました。
   「宮城県は、これから雪が降るでしょう。山沿いは30〜50センチ、
   平野は10センチの積雪・・・・・・。」
   今夜、千葉へ向けて出発して、高速道路をひた走るという日に限って突然の雪!
   これは大変。大急ぎで車のタイヤを冬用に交換してもらいました。
   午前中、室蘭の2頭の仲間が仙台港でフェリーを下りて、店へ遊びに来てくれました。
   やっぱり、千葉のドッグショーへ向かう途中です。
   ショーに興味のない方は、そんなに遠くから?ってびっくりするでしょうね。
   北海道だけじゃないんですよ。
   九州からも、関西からも、ショーに出場するために
   たくさんのセント・バーナードが集まってくるんです。
   1回戦で落ちてしまえば長い道のりの苦労もそれで終わりなのに、
   ショーの魅力にとりつかれると、なかなかやめられないみたいです。

   ヨハンを乗せたうちの車は、夜中の12時半に仙台を出発しました。
   高速道路に入ってまもなく、暗闇に広がる一面の雪景色!
   前を走る車の姿はなく、タイヤの跡も全くない真っ白な道がひたすら伸びていました。
   「通行止めになってしまったら大変だ。とにかく雪を乗り切ってしまおう。」
   阿武隈山地の長い長いトンネルを抜けると・・・・、もう大丈夫、雪道とはお別れです。
   地図を頼りに、水郷大橋のたもとの会場にたどり着いたのは5時半。
   もう何台か、遠くからやって来たキャンピングカーやバスが朝を待っていました。
   次々到着する仲間達、初めてかわす挨拶、ショーの開始、
   犬達をじっと見るアメリカの審査員、
   選ばれた犬の写真撮影、イタリアの樽を首に着けての集合写真・・・・。
   楽しい時間は、あっという間に過ぎていきました。

   さて、次の日の朝、疲れた目でパソコンを開けてみると、
   なつかしい人からメールが届いていました。
   『お久しぶりです。みなさん元気ですか?
    私は、ミラノへの出張などで忙しい日々です。』
   うちの店でアルバイトをしてくれていた僕の遊び友達の1人で、
   学生時代にイタリアへ留学したお兄さんです。
   「メールをくれたのが運の尽きとあきらめてくれ。
    頼みたいことがあるんだ。」
   パパは、イタリアのセント・バーナード・クラブのクラブマガジンを取り出しました。
   今年の4月号、「日本のセント・バーナード」の特集記事です。
   イタリアのナショナルサッカーチーム「アズーリ」が仙台にキャンプしていた時、
   事務局に雑誌の翻訳をお願いしたのですが、
   連絡が来ないまま事務局は解散してしまいました。
   『イタリア語の翻訳は、1週間で10万円も稼ぐ人もいるんですよ!
    それを昔のアルバイトのよしみで、16ページから20ページまで
    字がぎっしりを訳せというんですか?
    まったく! メールをしたのが運の尽き、あきらめます。』

   よかったー!
   やっと、日本語に訳してもらえることになりました。
   お兄さんが仕事で忙しいのは、よーくわかっています。
   順に少しずつ送ってくれるそうです。
   みなさんにも、その都度読んでいただきますね。

   このへんで今日はそろそろ・・・、え? ショーの結果ですか?
   それは、言わぬが花、聞かぬが思いやり・・・。
   ヨハン、また春にがんばろうぜ!

                       今日はここまで、またね。 
                                  Beethoven
ベーからの手紙      
  No.72 Nov.28. 2002

 元気ですか?
 本棚の奥から、なつかしい本が出てきました。
 本の後ろを見ると、発行されたのは1985年、
 表紙にはセント・バーナードの顔写真、
 そして、タイトルの文字は「セント・バーナード」。

   人間に人気のある犬、つまりよく売れる犬の種類は、その時代、その年によって
   いろいろと変わるんですね。
   日本スピッツ、コリー、シェットランド・シープドッグ(ミニコリー)、シべリアン・ハスキーから
   ゴールデン・レトリバーへ、今は、ミニチュア・ダックスフンド。
   マンションやアパートで犬を飼う人が増えているんですってね。
   でも、散歩の途中でセント・バーナードと出会ったことは、まだ1度もありません。
   日本にいる僕達セント・バーナードの数は、10年前と比べると半分位に減ってしまいました。

   セント・バーナードクラブが日本にたくさんあった頃は、皆でドッグショーの結果を
   激しく競い合いながらも、いいセント・バーナードを生み出そうという
   大きなエネルギーがありました。
   バーナードファンが増えていく中で、「本を出しましょう。」と出版社から話が
   持ちこまれました。
   これからセント・バーナードを飼う人や、わからないことがある、もっとよく知りたい、
   という人のために、経験や専門知識を出し合って、何人かで分担して原稿を書きましょう!

   「セント・バーナード犬の歴史」 「日本に輸入されたセント・バーナード」
   「世界のスタンダード(標準犬)の比較」 「子犬の選び方」 「飼い方」 「繁殖」
   「血統書」 「ドッグショー」 「病気」 「しつけ」・・・、
   目次には、こんな見出しが並んでいます。
   ちょっと、「日本に輸入された犬達」のページを開いてみましょうか。
   これは、1960年代から70年代に、イギリスとアメリカからやって来た仲間達
   (ショーでのチャンピオン犬が中心)の写真と血統の紹介ですね。
   僕達、日本生まれのセント・バーナードの血の流れは、イギリス系か、アメリカ系か、に
   大きく分かれます。
   イギリス系の方が体が大きく、顔はごつくて、体の色はこげ茶が強い。
   アメリカ系は体がひと回り小さく、顔付きはやわらかく、体の色は白が多くなります。
   1代目のベートーベンはイギリス系、2代目の僕はアメリカ系です。
   イギリス系とアメリカ系のセント・バーナード、どっちがいいかって?
   「そりゃ、イギリス系はたくましいからね。」
   「とんでもない、美しさではアメリカ系にかなわない。」
   それぞれのファンがお互いに譲りませんので・・・、お父さんがイギリス系、
   お母さんがアメリカ系、ちょうど半分ずつのヨハンに間に入ってもらって、
   丸く収めましょう。

   とても古い本だけど、読み直してみると、あの頃の人達、
   こんなに一生懸命よく書いたな、と感心します。
   理想的な犬舎の造り方、子犬と成犬それぞれの食事の作り方、運動はどの位?
   体の手入れの方法は?ドッグショーって何?
   みんな、セント・バーナード達に幸せになってほしくて、伝えたいことを1冊の本に
   まとめたんだと思います。

   そう言えば、この本のためにママも原稿用紙にペンを走らせていたのに、
   ママの名前が見つからない・・・。
   ははぁ〜ん、「ゴーストライター」ってことだったんだね。

      (愛犬の友・犬種別シリーズ 「セント・バーナード」 誠文堂新光社 発行)

                      今日はここまで、またね。 
                                  Beethoven
 ベーからの手紙      
  No.73 Dec.12. 2002
 元気ですか?
 今年の4月、イタリアの雑誌に掲載された、うちの店や
 日本のセント・バーナードについての記事。
 そのイタリア語の記事を日本語に訳してくれたのは、
 大学生の時にお店でアルバイトをしてくれていた
 高梨お兄ちゃんです。

   お兄ちゃんは、仙台の大学でイタリア美術の歴史を勉強していました。
   そして約4年間、イタリアでも研究を続けました。
   日本へ戻って来て、東京の美術館でお仕事をするようになってからは
   とても忙しいみたいです。

   お店のホームページを見つけてメールを送ってきてくれたお兄ちゃんは、
   イタリア語の翻訳を引き受けてくれました。
   「今、イタリアを相手に難しい仕事をしていて、とっても大変なんだ。
    週末に少しずつ訳して送るね。
    それから、記事の執筆者のグイド・ザネッラさんに、僕からもメールを出しておくよ。」
   イタリアのセント・バーナードクラブ AISB のクラブマガジン編集長のグイドからは、
   お兄ちゃんの元にすぐに返事が届きました。   ( 高梨光正氏 訳 )   


   『  拝啓、タカナシさま

    タカナシさんのメールは、まったくもってうれしい驚きでした。
    言葉の問題から、自分とヒロシとの間の満足のゆくメールのやりとりが続かず、
    残念に思っていました。
    お互いつたない英語でやりとりをし、しばしば間違いもありました。少なくとも、自分の側に。
    自分が編集している会報は、今のところイタリア語のみです。
    いずれは英語でも出版したいとは思ってますが。
    あなたがイシハマ家の記事を日本語に訳してくれたとは、うれしいです。
    もっとも、ちょっと奇抜で、ある意味おかしいですよね。
    だいたい、ヒロシが日本語で考えた記事を、英語で書いて、
    それを私がイタリア語に訳してまとめて、
    それでもってあなたが今度はもう一度日本語に訳したわけですから。
    願わくば、ヒロシが最初に言いたかったことが何一つ失われていなければいいのですが・・・。
    くれぐれも、ヒロシにわれわれの敬意をお伝えください。
    そしてセント・バーナードの飼い主の彼の友人に、あんなにたくさんの樽を売ってくれたことに
    大いに感謝していると。
 
    AISBの運営委員会は、ヒロシを2003年からAISBの名誉会員にすべしという私の提案を
    喜んで了承し、手紙で近いうちに届くと思います。

    タカナシさんにこのメールのお礼を言うと同時に、私が英語に翻訳するのには
    複雑で難し過ぎる内容で、ヒロシと連絡する必要のある際には、
    なにとぞお手伝いくださいますよう、お願いいたします。
    イタリアからの何かしらの情報が必要な折りには、いつでも何なりと声をかけてください。

                                         敬具
                                 
                                           AISB編集長 グイド・ザネッラ  』


      パパが名誉会員! すごいや。
    しばらく前に、イタリアからパパへのメールにも「名誉会員」という文字があったんだけど、
   パパとママはジョークだと思って、「そりゃ、いい響きだね。」って軽い気持ちで返事を出したんです。
   会議で決まった真面目な話だとは思わなかった!

   ノーベル賞の授賞式は燕尾服だけど、イタリア・セント・バーナードクラブの名誉会員は・・・、
   アルプスを登山できる服装じゃなきゃね。

                   今日はここまで、またね。 
                                  Beethoven
AISBの役員の方々が
テレビ出演
向かって右端が
   グイド・ザネッラ氏
ベーからの手紙      
  No.74 Dec.28. 2002

 元気ですか?
 ヨハンがうちの家族になって1年が過ぎました。
 ヨハンのお陰でにぎやかに過ごした1年間、いろんなことがありました。
 うちへ来る前はつらいこともあったみたいだけど、もうどこへも行きません。


   さて、ヨハンの血統書に見つけた I KC (アイルランド ケンネル クラブ)の文字。
   ヨハンのお父さんは、アイルランドのセント・バーナード。
   おじいちゃんは、アイルランドとイギリス、両方のドッグショーのチャンピオン犬。
   いったいどんなセント・バーナードなんだろう?
   お父さんは、どんな所から日本へやって来たんだろう?
   アイルランドのセント・バーナードの仲間に連絡を取ってみましたが(「ベーからの手紙 No.52」を
   ご覧下さい。)、残念ながらくわしいことはわかりませんでした。

   今月、アイルランドから新しいメールが届きました。
   ショードッグのホームページを作っている ピーター・バンクスさんからです。
           『アイルランドの犬達を見て下さい。』  www.irishdogs.ie
   パパは、すぐにバンクスさんに頼んでみました。
   「お願いがあります。
    私のセント・バーナードはアイルランドの血筋。
    でも、その血統・犬舎に関して何の情報もないのです。
    何かご存知でしたら教えていただけませんか?」
   返事は、しばらく来ませんでした。
   だめかな・・・。あきらめかけた頃、英文のメールが飛び込んできました。
           『調べてみたんだけど、非常に難しい。
            その犬の繁殖者、犬舎が見つからないんだ。
            おそらく、その人は繁殖をやめてしまったか、・・・それとも、
            我々の国にはもういないのかもしれないよ。
            犬の繁殖者っていうのは、新しくやって来ては、
            そして又いなくなるもんだから。』
   ふーむ、そういうことか・・。
   ショードッグの世界に住む人間達は、日本もアメリカも、そしてアイルランドも同じなんだね。
   「ご協力、感謝します。
    その通り、繁殖者は来ては去り、ですね。
    私の愛犬は素晴らしいセント・バーナードです。
    アイルランドの血統を誇りに思います。」

   12月は、いろんな方からメールでメッセージが届きました。
   アメリカのボブ ・ジェームスさんからは、
           『ヒロミのコンサート、聞きたかったな。
            12月21日に、東京の青山シアターで
            ケイコ・マツイと連弾のコンサートをしたんだよ。
            フォーレの曲の続きをヒロミと演奏したい。
            2003年にまた会おう!』
   そうそう、ボブさんの誕生日は12月25日、ちょうどクリスマスなんですよ。

   今年最後の僕の手紙は、イタリアからのメールで締めくくりましょう。
   僕達の友人、イタリア・セント・バーナード・クラブのグイドさんからのメッセージです。

        Hello Hiroshi
 
        I am learning japanese....     :o))

      Shinnen omedeto. Kurisumasu Omedeto

        
          Guido Zanella
          from Italy

    それでは皆さん、よいお年を!
                   また来年お会いしましょう!

                                  Beethoven
東北大学工学部・半導体研究所前 
発光ダイオードのイルミネーション
ベーからの手紙      
  No.75 Jan.14. 2003

 元気ですか?
 お正月の休みは、のんびりと過ごせました。
 神社へのお参りも、雪遊びも、日向ぼっこも、
 ヨハンはいつもみんなと一緒でした。
 今年は、これからどんなことが待っているんでしょうか・・・。

   うちへ来たばかりの頃のヨハンとの散歩を振り返ってみると、
   すぐに地面に顔を近づけて落ちている物に興味を示し、
   拾い食いをしてしまいそうな時がありました。
   小さな水たまりでも、見つけると慌てたように水を飲もうとしました。
   濁った水にも口をつけてしまうことがあり、その度に、
   一緒に歩いているパパとママから怒られました。
   繰り返し、何度も、地面に落ちている物を口にしてはいけない。
   水は公園の水道から飲むか、家や店に戻ってから、と毎日の生活の中で覚えていって、
   やがて水たまりには興味を示さなくなりました。

   ヨハンは、今のところ病気もないし、怪我もしません。
   健康そうに見えて、実は何度も動物病院の診察台で治療を受けていた僕よりも、
   よっぽど親孝行です。
   犬と暮らしているお客様と、病院の話になることもあります。
   「今日が退院の日。これから迎えに行くんです。」
   おや、どうされました?
   バーニーズ・マウンテンドッグ、大きな犬ですよね。
   「プラスチックのボールを噛んで遊んでいたら、飲み込んでしまったんです。
    後になって苦しみ出して・・・・。」
   レントゲンでプラスチックの破片の場所を確認してから開腹手術、そして点滴をしながら
   1週間入院したそうです。
   僕の仲間のセント・バーナードにもいました。
   庭に干してあるシーツが姿を消したと思ったら、クチャクチャと何かを噛んでいる彼女の
   口の中にシーツの端がのぞき、残りは全部、既に胃の中へ・・。
   「こんなこと、するはずがない。」と人間が思っていても、
   そんなことをしてしまうのが、僕達動物。
   でも、1代目のベーも、僕も、拾い食いはしなかったし、
   異物を飲み込むことも1度もなかったから、
   パパとママはヨハンに関しても心配はしていなかったみたいです。

   僕達は、アイスクリームが大好き。
   1月10日、夜のおやつに、ヨハンはあゆちゃんにアイスクリームを食べさせてもらいました。
   棒がついたアイス、あゆちゃんが棒を持っていました。
   夢中になってなめるヨハン、何かの拍子に、スルッと棒があゆちゃんの手を
   離れてしまいました。
   ヨハンの大きな舌はクルンと全部を包みこみ、そして・・スーッとそのまま、
   のどを通っていきました。
   「ヨハーン!」
   満足そうなヨハンの顔が、そこにありました。
   どうしよう? 家族4人は顔を見合わせました。
   ごみ箱に捨ててあったもう1本のアイスの棒を拾い上げてみると、長さは11センチ。
   吐き出すか? 便と一緒に出るか?
   それとも、腸で詰まって腸閉塞、手術か?
   とにかく様子を見るしかありません。

   11日、朝の散歩。「出た?」「だめだ、出ない。」
   昼、出てこない。もしかしたら、と便を崩してみたけれど、やっぱりない。
   夕方、下痢に近い軟便。調子が悪くなってきたか?
   丸1日たったけど、ヨハンの様子に変化はありません。
   もし、手術なんてことになったら、どうしよう?
   土曜の夜中の1時近く、布団に入ろうとしたパパとママは、
   ヨハンが部屋を出て外にいる気配を感じました。
   ハァハァハァ・・・・・、いつもと息遣いが違います。
   ウロウロしているのがわかります。
   パパは、パジャマの上にジャンパーをはおって外へ出ました。
   ヨハンは犬舎から出してもらうと、枯葉を踏みしめて匂いを嗅ぎ出しました。
   しばらくすると・・・「出た―!出たぞ―!」
   よかった!飲み込んだそのままの状態で出てきました。
   こんなに嬉しいウンチは初めてです。
   ヨハンは、ちょっと疲れたような表情でした。

   日曜の朝、話を聞いたあゆちゃんは、本当にほっとした顔をしていました。
   責任を感じて、丸1日気が気じゃなかったみたいです。
   これからは、ヨハンのおやつに棒つきアイスクリームは禁止です!

                      今日はここまで、またね。
                                  Beethoven
ベーからの手紙      
  No.76 Jan.29. 2003
 元気ですか?
 3月で4才になるというのに、ヨハンの若々しいこと!
 まぁ、別な言い方をすると、4才近いセント・バーナードとしてはちょっと幼いかな、
 という気もします。
 まるで、うちの家族になってから誕生日が始まったみたいで、
 今のヨハンは僕から見たら1才半、というところですね。

   僕は、14才8ヶ月まで長生きできました。
   小さな犬や雑種と呼ばれる犬には、もっともっと長生きをする仲間がいるけど、
   僕達セント・バーナードは体の衰えも早目に訪れます。
   セント・バーナードらしく体が大きくなくちゃ、と若い時に太らせ過ぎると、
   脚に体重の重みがかかって支える力が弱くなったり、内臓が弱ったりもするみたいです。
   (体のとても大きなお相撲さんと同じだと思います。)

   長生きをした僕は、しょっちゅう病院に通っていました。
   まず、子犬の時の後ろ足のくる病の治療。
   走っている車の窓から飛び降りて車と並走し、脚の腱がひきつれたようになり、
   慌てて病院へ。
   訓練所にいた時、たくさんの犬と一斉に校庭へ出て、シェパードやドーベルマンのケンカの渦に
   巻きこまれ、左肩を噛まれて大きな傷がパックリ。これは痛かった。
   肩に穴が開いたみたいになりました。
   悪性腫瘍ができて、耳の一部の切断手術もしました。
   年を取ってからは、下痢が続くと点滴を約2時間。
   弱った後ろ足を引きずっては、血だらけになる爪の薬を定期的に・・・・。

   僕とは反対に4才7ヶ月の短い命だった1代目のベーは、
   皮膚病の薬以外は病院のお世話になることはなかったそうです。
   命を奪った最後の大きな病気までは。

   動物と暮らしているみなさんは、どうやって病院を選んでいますか?
   パパとママは、1軒目は、予防接種のために家から1番近い所へ行ってみたそうです。
   その獣医さんは、手が少し震えて、話もよく聞き取れないようなお年寄りだったので、
   その日でおしまい。
   「腕がいい」という評判を聞いてしばらく通った2軒目は、車を停めるのが難しい場所でした。
   3軒目は、僕も途中までお世話になりました。
   でも、長いお付き合いになっても、パパとママには納得できないことがあったみたいです。
   年に1度の春の血液検査、1代目べーの検査票の白血球の異常な数値に不安を感じた
   2人は、獣医さんに問いかけました。
   答えは、「検査センターで何も言ってこないから、別にいいんじゃないの?」
   そして夏、目に見えて元気がなくなってきた彼女のお腹に、手で触ってはっきりとわかる
   しこりを見つけました。
   僕の腫瘍の手術の時は、「検査センターで悪性だと言ってきたから、耳ごと切除します。」

   その後僕達は、4軒目の病院を捜しました。
   今でも大事にとってある、そこでの僕の診察券番号は「No.5922」でした。
   うちの家族になってすぐに、予防接種のためにその病院へ行ったヨハンの番号は、
   「No.13130」。
   これからヨハンは、この診察券のお世話になります。

   それにしても、ヨハンは本当に病気知らず。
   去年の5月に、フィラリア(伝染病)の予防薬を、必要な6ヶ月分を受け取ってから、
   1度も病院へ行っていません。

                      今日はここまで、またね。
                                  Beethoven
ベーからの手紙      
  No.77 FEB.14. 2003 
 元気ですか?
 最近のヨハンは、結構男っぽくなってきましたね。
 出会ったばかりの頃は、まだ体がほっそりしていて、
 「可愛い女の子」という印象もあったけど・・・。
 訓練所のお兄さんにも言われるんです。
 「ほんとに大きくなったな。」って。

   セント・バーナードは大型犬、でも、体の大きさは犬によっていろいろです。
   レトリバー犬より小さいようなメスもいるし、昔は「ジャイアント・バーナード」と呼ばれる、
   体重が100キロを超える本当に大きな仲間達もいました。
   僕のおじいちゃんは、父方、母方、どちらもアメリカのチャンピオン犬でした。
   アメリカのセント・バーナードは、ヨーロッパの仲間と比べると体はそう大きくはありません。
   母さんの方のおじいちゃんは「ハネハン」という名前、
   父さんの方のおじいちゃんは「ララミー」という名の、とても有名な犬だったそうです。
   でも僕の血統書を見ると、「ララミー」の名前が載っていません。
   僕の父さんの顔はララミーにそっくりなのに。
   なぜだと思います?
   これは、ずっと昔のことだから言える、内緒の話。
   僕の母さんと、2頭の花婿が、同時に結婚しちゃったんですって。
   2頭のうち1頭はララミー・ジュニア、
   もう1頭は、「ポパイ」と呼ばれるアメリカンチャンピオンのジュニアでした。
   やがて母さんは7頭の子犬を生み、血統書の父犬の欄にはポパイの血統が
   印刷されました。
   だけど、僕の成長と共に色濃く出てくるのは、どう見てもララミーの血筋。

   「べーからの手紙 No.33」の最後で、「写真の片方が僕の父さん」と書いたけど、
   実は僕は、複雑な家庭環境に生まれたんです。
   左側の「デンカ」が本当の父親、右の「ドラ」が戸籍上の父親、というわけです。
   ドラは、貫禄のある義父さんでした。
   あの頃の日本のセント・バーナードとしては、異色の存在だったようです。
   「ごつ過ぎる」「体が大き過ぎる」と言われながらも、ドラはたくさんの子供を作り、
   日本中に子孫を残していきました。
   イタリアの雑誌で、ドッグショーの入賞犬の写真を見ながらパパとママは話していました。
   「ドラと似たような犬がいる。」
   「頭の作り、骨格・・・、ドラも、イタリアへ行けば別に大きい方じゃなかったんだね。」

   ドラの父親のポパイは、アメリカの「ハイシャト―」という犬舎で生まれました。
   つい先日、セント・バーナードの繁殖者の方からこんなメールをいただきました。
   「ハイシャト―犬舎は、イタリアからの種オス(繁殖のためのオス犬)を使い、
    今日の犬を作り上げたのです。」

   そう言えば、イタリアの雑誌の翻訳をしてくれた、イタリア美術のお仕事をしている
   高梨お兄ちゃんからは、こんなメールが届きました。
   「『冷静と情熱の間』という映画をご存知ですか?
    舞台は1994年からのフィレンツェ、絵画修復家の話なのですが、
    そこに『高梨』という人物が登場するそうなんです。
    私がイタリアへ留学していたのは94年からのこと。
    99年からは、仕事でしょっちゅうフィレンツェに通っていました。
    知り合いは皆、私がモデルだと言うのです。
    その高梨が、どうもイヤなヤツらしいのです・・・・。」
             おやおや!
                         今日はここまで、またね。   

                                  Beethoven

僕の父さん 「デンカ」

僕の義父さん 「ドラ」

僕 「ベートーベン」


僕の子分 「ヨハン」
ベーからの手紙      
  No.78 MAR.4. 2003
 元気ですか?
 今、うちの店では、フェアをやっています。
 豆のショーケースには、いつもとは違う派手目のピンク色のカードに
 値段を書いて貼ってあります。
 お客様には、お楽しみで抽選箱に手を入れてクジを引いてもらいます。
 たくさん引いても全部はずれの方もいるし、小さなお子さんが無造作に
 取ったら全部当たりクジ、ということもあります。

   このフェアを開く前に、パパとママは、お店の広告について話し合いました。
   何年かの間、うちの店は広告を出すのを休んでいました。
   長い間続けていた、広告賞を受賞したこともある新聞の広告も、
   同じパターン、同じイメージで繰り返すうちに、新鮮さを失ってきた、と感じたんですね。
   (「ベーからの手紙No.22」をご覧下さい。)
   仙台の街の様子も、随分と変わりました。
   繁華街で昔から大きく商売をしていた地元のお店が、ここも、あそこも・・・、
   と次々と姿を消していきました。
   世の中みんなが華やいでいた頃とは違って、うちの店も、広告を出すことには
   慎重になっていたようです。

   大町から大手町へ、そして、また大町へ。
   2度の移転で今の場所へ引っ越して来て、もうすぐ5年になります。
   それなのに、お店へ入っていらしたお客様から、今でも時々
   こう言われることがあるんです。
   「偶然ここを通りかかって、やっと見つけた。どこへ移ったのか、
    今までわからなかった。」
   「以前大手町にあった店だよね?向こうへ行ったら建物がなくなってて、
    あきらめていたんだよ。」

   「『珈琲豆屋ベートーベン』は、こんな店。」
   「店の場所は、ここです。」
   パパとママは、インターネットとはまた違う、幅広く皆さんにお店を知ってもらうための
   広告について、新聞社のお兄さんと相談をしました。
   そして、月に1回発行される新聞社の情報誌に、僕のマーク入りの
   コーヒーの缶の写真と、地図を載せた広告を、久しぶりに出しました。
   「あのワンちゃんの缶が欲しいんですが・・・・。」
   「すぐ近くの町に住んでいて、今までお宅の店を知らなかった。」
   「ベートーベンさん?お店、やめてなかったんだね。」 (!!!)
   広告を見て下さった皆さんから、いろんな声が届きました。

   変わらずにいる、ということも、とても大切なことだけど、
   時間の流れの中で少しずつ表情が変わっていかないと、飽きてしまう・・。
   同じことをずっと続けていくって、結構難しいみたいです。

   僕は、新聞や雑誌の広告に、写真でたくさん登場しました。
   新しい時代の「ベートーベン」の広告で、ヨハンは活躍できるんでしょうか?
   どうも、彼は寝てばかりいて、看板犬としての自覚が足りないような気がするんです。

                                今日はここまで、またね。   

                                  Beethoven

モデルがご機嫌斜めでお蔵入りとなった
幻の広告写真 (あゆちゃんと僕)

仙台国際センターのガラスの壁面


今のあゆちゃんと、ヨハン

裏山の沼(以前は渡り鳥が羽を休めていきましたが
    最近は姿を見かけなくなりました。)
ベーからの手紙      
  No.79 MAR.19. 2003


 元気ですか?
 この頃のヨハン、何か悩みを抱えているみたいです。
 散歩で西公園へ行くと、気難しい顔をして帰ってくることがあります。
 寝てばっかりでのん気そうに見えるけど、
 彼にも、何やら思うことがありそうです。
                                
   僕達セント・バーナードが外を歩いていると、いろんな言い方をされます。
   「かわいい!」 「かっこいい!」
   反対に、「うわっ、大きい!」 「恐い!」
   僕は、そのどちらもセント・バーナードの姿なんだと思います。
   人間達が考える、アルプスの救助犬としてのイメージ、
   それと背中合わせに、体がとても大きいということは、それだけ力が強い、ということを
   意味します。
   もし僕達が本気で怒って、本気で力を出したら、相手を倒してしまうかもしれません。
   どちらか片方の姿だけでバーナード犬のイメージをふくらませると、
   どこかでひずみが出てくるような気がします。

   ヨハンは、セント・バーナードの中でも、とても人なつこい、おとなしい犬です。
   うちの家族になってから、2〜3度パパにわがままを怒られましたが、
   それ以降は外でルール違反をすることもなく、穏やかに暮らしています。
   ただそのためには、散歩の途中で他の犬を見かけたら道路の反対側に移動したり、
   他の犬に吠えかかられて興奮したヨハンの首を押さえて我慢させたり、
   体の大きなこちらから、トラブルを避けるように気をつけることも大切です。

   昼と夕方の1日2回、ヨハンが毎日散歩をしている西公園では、
   僕が元気だった頃と比べると、散歩にやって来る犬の数がかなり増えました。
   犬の種類も、大きさも、いろいろ。
   そして、散歩をさせている人間のマナーも、本当にいろいろです。
   まるで自分達専用の運動場みたいに、公園の至る所で犬を走り回らせる人達もいます。
   同じように犬を放している飼い主の人達で仲良しグループが出来上がり、
   公園に着いて犬の引き綱をはずすと、それっきり人間同士のおしゃべりに夢中です。
   そこへ他の犬が通りかかったら、どうなると思います?
   放されている犬達は、「ここは自分達の縄張りだ。」と主張します。
   「なぜここへ来る?」 「通るな!」 「あっちへ行け!」
   口々に騒ぎ立てながら、飼い主に引き綱を持たれているその犬を取り囲みます。
   もしもその犬が、体がとても大きくて力が強い犬だったら、
   ケンカを仕掛けてきたのが相手であったとしても、応戦したら、
   きっとこっちが勝ってしまいます。
   だから、飼い主は犬にじっと我慢をさせ、自分自身も怒りをグッとこらえるそうです。

   パパとママが話してました。
   「言ってもわからない人達には、何を言っても無駄。」
   その通り、何度注意されても、頼まれても、そのグループの人達は
   同じことを繰り返したそうです。
   そしてとうとう、放されている犬は相手の大きな犬を取り囲むだけでは気が済まず、
   おとなしく立っている彼に、歯をむき出しにして飛びかかってきたんです。
   しかも、1週間に2度も!

   可哀想なヨハン。
   襲いかかられても反撃することもせず、ひたすら我慢をしていました。
   犬を放していた飼い主は、この出来事を遠くからじっと見ているだけ。
   自分の犬を引き綱でつなごうともせず、謝ろうともしなかったそうです。
   「はいはい。もうしませんから。」
   ママの抗議にうるさそうに返事をする、50才代位の女の人のその態度に、
   「きっとまた同じことが起こる。」と、ママは不安を感じたそうです。
   帰り道、ママは公園の入り口にある交番のドアをノックしました。
   そこにいたのは、ヨハンを可愛がってくれている、体のとても大きなおまわりさんでした。
   「私、いつも交番から見てるんですけどね、あの犬は体は大きいけど、
   とてもおとなしいんですよ。
    他に迷惑をかけないように、犬を放すのはやめてもらえませんか?」
   おまわりさんは、ていねいな言い方で彼らに声をかけてくれました。
   「どんなにおとなしくても、繰り返し攻撃を受けて怒って、もし反撃に出たら、
    あなたの犬が怪我をしますよ。それが1番恐いんです。
    放すのは、もうやめてくれますか?」
   ママの言葉を聞いてから背を向けて歩いて行ったその人達を、信じるしかありません。

   おまわりさんが静かに話し出しました。
   「ヨハン君のこと、わかるんですよ。私も、こんなに体が大きいでしょう?
    恐がられちゃいましてね。
    ・・・実は私、異動なんです。この交番は、明日の朝で終わりです。
   ヨハン君とも、もう会えなくなります。」

   ヨハンと友達になってくれたおまわりさん、最後に、ヨハンのために
   一肌脱いでくれたんですね。 ありがとう。
   あなたが交番からいなくなると、寂しくなります。
 
                            今日はここまで、またね。
                                       Beethoven




ベーからの手紙      
  No.80 APR.4. 2003

 元気ですか?
 前回の手紙でお話した、ヨハンに飛びかかってきた犬とその飼い主の人達、
 ヨハンが散歩をする道順では姿を見かけなくなりました。
 西公園は、歩道橋を渡った向こう側にもずっと広がっているから、
 もしかすると、あちらへ場所を変えたのかもしれませんね。
 あれでこりて、他の犬に迷惑をかけるのはやめてくれた、と
 僕は信じたいです。

   この前の僕の手紙を読んで、セント・バーナードと暮らしている人達から
   いろんな感想が届きました。
      「うちの犬も、歩いているだけで『恐い!』と言われます。」
      「娘が散歩をさせていて、引きずられてしまいました。
       でも、引き綱を放して他の犬のところに行ったら大変なことになると思い、
       自分が転んでも綱を持っていたそうです。」
      「うちだったら、そこでとっくに反撃してる。」

   困ったことがある、という声が聞こえてこないから、僕、今まで不思議だったんです。
   みんな、何のトラブルもなく、人間社会の中で生活しているんだろうか?
   おとなしいセント・バーナードばかりなんだろうか?
   ・・・でも、話を聞いてみると、それぞれいろんな経験をしてるんですね。
      「頭をなでようと手を出した人に突然うなる。大きいから恐がられる。」
      「他の犬を見ると、飛び出して追いかけようとする。」
   アルプスの救助犬の子孫には、こんな一面がある場合もあります。

   10数年前、僕がまだ若かった頃、地元の新聞にこんな記事が大きく載ったことがありました。
   見出しは、こうでした。
     「『ボス、待って!』 
       セント・バーナードに引きずられ、踏み切りで飼い主の女性と犬が死亡」
      降りた遮断機をくぐってセント・バーナードが線路へ進入。
      飼い主の女性は、大型犬を制御するために引き綱を自分の腕に何重にも巻きつけていた。
     「待って!」と犬に声をかけたがそのまま引きずられ、列車にはねられて死亡した。

   その記事が出た日、店の電話のベルが鳴りました。
      「・・もしもし?生きてるんだね? ああ、よかった。
       あの記事、ベートーベンのことかと思ってギョッとしたんだよ。」
   散歩をしていたら、通りすがりの人に声をかけられました。
      「いつも散歩させてるのが女の人だから、お宅のことかと思ってた。」

   踏み切り事故で死んでしまったセント・バーナードは、訓練所を卒業していました。
   でも散歩をしている時は、あっちへ、こっちへと飼い主さんが引っ張られているのを
   近所の人達が見ていたそうです。
   僕が卒業した訓練所には、いくつもの新聞社から電話がかかってきました。
      「訓練所で訓練をしたのに、こんな事故が起きたことをどう思うか?」
      『うちの生徒ではない。別の訓練所の卒業犬だ。』
      「でも、亡くなった方は、宮城県セント・バーナードクラブの会員だったはずだ。
       クラブの責任者であるあなたは、犬の状況を把握していなかったのか?」
      『ジャパンケンネルクラブという愛犬団体に加入する際に、自動的にどこかのクラブに
       所属することになる。1頭1頭がどんな犬かを知るのは無理。』
      「それは無責任ではないか。」
   その取材の内容には腹も立ったけど、飼い主とセント・バーナードが事故で一緒に
   命を失ってしまったという悲しい事実の前に、僕も複雑な気持ちでした。

   セント・バーナードを家族の一員にしたものの、自分の犬だけがこうなのかと、
   誰にも言えずに大型犬の扱いに悩んでいる人って、意外と多いんですね。
   大きく成長してから「不要」のレッテルを貼られたセント・バーナードの運命は、
   大きく変わってしまいます。
   事故が起きたり、自分の手に負えなくなって手放してしまう前に、
   誰か仲間に声をかけてみて下さい。
   もちろん、僕にでも。
 
                         今日はここまで、またね。
                                  Beethoven