ベーからの手紙      
  No.81 APR.22. 2003

 元気ですか?
 インターネットでコーヒー豆の注文を下さる皆さん、
 パパが焙いたコーヒーを飲んで下さってありがとうございます。
 うちの店がホームページを作るまでは、電話やファックスで、
 時には、葉書で注文が届くこともありました。
 直接声を聞いた方がいいから、と電話をかけて下さる方もいます。

   今は、何でもインターネットで調べられて、何でもインターネットで買える時代、
   なんですってね。
   小学生のひろちゃんも、宿題があるとすぐパソコンに向かいます。
   ママが学校に授業参観に行った時、レポートを発表する子供達がインターネット
   からの資料を棒読みし、「この漢字、なんて読むんだ?」と止まってしまい、
   お父さん、お母さん達が笑っていたそうです。

   僕達セント・バーナードを買うのも、インターネットでできるんですよね。
   犬のホームページをのぞけば、
    「○月○日、子犬が生まれました。
     オス△頭、メス×頭。ご希望の方はご連絡下さい。」
   日本のあちこちからのこんな情報が、すぐ手に入ります。
   そして、写真を見て「この子が欲しい」と決めて、あとは子犬が届くのを待つだけ。
   とっても簡単!
   ・・・簡単過ぎて、僕はちょっと恐いような気もするんです。
   だって、子犬は生きているのに。 セント・バーナードは、とても大きくなる犬なのに。
   パソコンの画面からだけの情報で、不安はないのかな?

   僕がこんな話をするのは、実際に回りでいろんな事が起きているからなんです。
   ホームページにとてもりっぱなことが書いてあるから、それを信じて子犬を
   注文したけれど、いざ子犬が届いてからトラブルが起きてしまった。
   すると相手は、インターネットの世界のりっぱな専門家から、
   手の平を返したように別な人に変わってしまう。
   でも、つながっているのはパソコンだけ。
   住んでいる所は遠く離れていて、問題を解決するのはなかなか難しい・・・。
   子犬は生きています。トラブルの間にも、あなたの手元でどんどん成長していきます。

   セント・バーナードを家族にするなら、できれば、直接子犬を抱いてほしい。
   僕は、そう思います。
   それが無理なら、せめて、画面をクリックして注文を出してしまう前に、
   いろいろ質問したり、確かめたりして、生きている動物を受け取るんだ、ということを
   しっかり受け止めてほしいんです。

   そしてもう1つ、僕からお話したいことがあります。
   いろんな情報がすぐに手に入るインターネット、犬についてのたくさんの情報を
   頭に詰め込んでから、パパに連絡をして下さる方もいます。
   「私はいろいろ勉強しました。もう知っています。
    セント・バーナードを飼いたいんですが。」
   パパが実際の話をしようとしても、この方の耳を素通りしていくみたいです。

   子犬は生きています。
   そして、セント・バーナードはあっという間に大きくなります。
   パソコンの画面からだけで僕達を理解しようとするのは・・・、とても難しいと思います。

                         今日はここまで、またね。
                                  Beethoven


左の写真は、宮城県スポーツセンター
上の写真は、仙台二高のクラブハウス


左の写真、突き当たりが仙台二高
下の写真、仲の瀬橋から西公園へ

ベーからの手紙      
  No.82 MAY.8. 2003


 元気ですか?
 1年前の今頃、ヨハンは初めてのドッグショー出場を控えて、
 軽やかな足取りを作るために毎日走りこみをしていました。
 パパが自転車に乗り、ヨハンはその脇をひたすら走るのが日課でした。


   今年も、5月18日に「東北インターナショナルドッグショー」という大きな大会が
   仙台で開かれます。
   セント・バーナードの仲間達があちこちからやって来ます。
   ショーに出場しなくても、みんなに会うのを楽しみに駆けつける仲間も、
   もちろんいます。

   「5月18日が子犬の引き渡し日になると、会場で会えるのですが。」
   そんなメールのやり取りをしていたのは、
   「セント・バーナードを飼いたいのです。」とパパに電話をかけてきてくれた方です。
   その方は、いろんなブリーダー(繁殖者)さんのホームページを見て、
   逆に、どうしたらいいか迷ってしまったそうです。
   僕が生まれた訓練所の訓練士さんが、可愛い子犬を探してくれることになりました。
   ちょうど、生まれてまもない、まだ目も開かない赤ちゃん達が2ヶ所にいました。
   丈夫なしっかりした脚の、見た目もきれいなオスの子犬を、じっくりと選びましょう。
   どんな子犬か判断できるまで成長した頃、他の県で生まれたその子達に
   訓練士さんが会いに行ってきました。
   そして・・・決まりました! 名前も、もう決めてあるそうです。
   「9日に子犬を受け取って来るよ。一晩訓練所で様子をみて、
    10日にご家族に引き渡すことになった。」
   フワフワの子犬がやって来るのは、18日のドッグショーの日ではなく、
   今週の土曜日になりました。

   さて、話はヨハンに戻ります。
   去年は、久しぶりのドッグショー出場でパパとママも落ち着かなくて、
   申し込みが始まる1週間以上も前から受け付けの心配をしたり、
   ショーの当日も、会場に朝早く着き過ぎて出番までに疲れてしまったり、
   そして、いざヨハン登場の場面では、あっけなく予選落ち。
   それが、1年前のショーデビューでした。

   さぁ、そろそろ今年のショーの申し込みをしなくちゃ、と、この間ママが会報を
   取り出しました。
   ・・・あ!
   「申し込みの締め切りは4月14日 期限厳守」
   あらら、締め切りは、もうとっくに過ぎちゃってました。

   ・・・というわけで、5月18日、仙台港近くのショーの会場へヨハンは「遊び」に行きます!
   皆さんと会うのを楽しみにしています。

                         今日はここまで、またね。
                                  Beethoven

走りこみがなくてホッとしているヨハン

ヨハンの右前足の手前に、タケノコがニョキッ
ベーからの手紙      
  No.83 MAY.23. 2003 

 元気ですか?
 5月18日、日曜日は、セント・バーナードの仲間達に会えて
 ヨハンもとても楽しかったみたいです。
 自分達が出場しないのにドッグショーに足を運ぶのは、
 今回が初めてでした。

   1代目のべーと僕がショーや競技会に出ていた頃は、お店の仕事が終わってから、
   土曜の夜のうちに会場へ向かいました。
   青森、秋田、岩手、山形、福島、東京、埼玉、神奈川・・・へ。
   春と秋は、休みの度にどこかへ遠征していた気がします。
   そして、その日の夜に仙台へ帰ってきて、月曜の朝はいつも通りにお店の仕事。
   「あの頃は、若かったなぁ。」って、パパが言っています。
   「今日から4日間、あゆは陸上の大会で、朝早く競技場へ送っていかなくちゃならないだろ。
    ひろがコンサートを聞きに行って帰りが遅い日は、夜迎えに行って、
    ピアノのレッスンで休日も出かけたり・・。
    今は、とてもドッグショーまで体がもたないよ。」
   僕も、今の家族を見ていて、そう思います。
   「2人の娘が成長して親離れしたら、また犬でいろいろと楽しむさ。
    でも、その時には自分が年を取ってしまって、体がもつかな?」
   僕も、パパを見ていて・・、そう思います。

   18日に、初めて顔を合わせた仲間もいます。
   多分2才位の、オスのセント・バーナード。 彼は、いつ、どこで生まれたのかもわかりません。
   ボランティアの人達が開いた「犬・猫の里親募集」の集まりに連れて来られていたそうです。
   彼も、引き取ってくれた新しい家族と一緒にドッグショーの会場へ遊びに来ていました。
   「わかったんです! この子の生まれが。」
   お父さんが、顔を紅潮させていました。
   「会場の中を歩いていたら、『見たことのある犬だな。』と声をかけてきた人がいるんです。
    事情を説明して、うちへ来る前の呼び名を言ったら、
    『私が繁殖した犬だよ。 その名前、私がつけたんだ。』」

   関東のプロの繁殖者の元でで生まれたその犬は、
   仙台へ来るまでに、いろんなことがあったみたいです。
   「いらない犬を引き取ってくれないか。」
   行き場のない犬達の里親探しをしているグループに、ある日電話がかかってきたそうです。
   ボランティアの人が見たのは、何の種類なのか見た目ではわからない程
   やせこけた犬だったそうです。

   「とにかく、生まれた場所がわかってよかったです。」
   彼は、新しく、男らしい名前をつけてもらいました。
   自分を愛してくれる家族と巡り合い、仙台で、ようやく落ち着いた生活を始めたところです。

   ショーには出場しなくても、とてもうれしい1日でした。

                         今日はここまで、またね。
                                  Beethoven
ベーからの手紙      
  No.84 JUN.9. 2003


 元気ですか?
 パパとママのイタリアの友達、グイド・ザッネーラさんが、
 セント・バーナードの子犬を新しく家族に迎えることが決まりました。
 4月8日生まれの女の子、名前はマチルダ。


   ザッネーラ家のガストンという名の大きなバーナードが天国へ旅立ったのは去年の8月10日、
   9才半でした。
   その日からグイドさんは、悲しみが収まるのをじっと待っていたんだと思います。
   9才半という寿命はセント・バーナードとして決して短いわけではないけれど、
   でも、もう少し長生きもできる・・・。
      「長いこと黙っててごめんよ。 言えなかった。 ガストンが死んだ。」
   そのメールが届いたのは、ガストンの旅立ちから2ヶ月後でした。
   元気な頃の彼は、グイドさんと一緒にアルプスのグラン・サン・ベルナールを登っていました。
   でも、去年の6月30日の「サン・ベルナールの日」のスイス・フランス・イタリア3ヶ国の
   グラン・サン・ベルナールでのイベントに、ガストンの姿はありませんでした。
   もう山登りはできないのかな? 今年は留守番してるのかな?
   そう思っていました。
   それからまもなく、ガストンは永遠の眠りについていたんですね。

   ガストンが家族になる前、グイドさんはメスのセント・バーナードと暮らしていました。
   彼女は、ほんの数年の命だったそうです。
     「脳腫瘍だった。ひどい苦しみようで、本当に壮絶な最期で、悲しくて、悲しくて・・。
      たくさん泣いた。つらかったよ。」

   ガストンがいなくなってからも、グイドさんは、これまで通りイタリア・セント・バーナードクラブの
   クラブマガジン編集長で、パパとのメールのやり取りもいつも通りでした。
   まるでガストンの死などなかったかのように、それっきりグイドさんは何も言わなくなりました。
   今年になって、パパは、もうそろそろいいんじゃないかと思って聞いてみました。
     「新しいセント・バーナードは決まったのかい?」
   でも、グイドさんの心の悲しみは、まだそのままだったんです。
   彼は、そのことについては沈黙を守ったまま、必要なメールのやり取りを続けました。
   悪いことをした・・・開けっ広げの明るさの裏の、失った家族への深い愛。
   グイドさんの方から言ってくるまで、何も聞かないことにしました。

   春、イタリアからのメールに変化が見え始めました。
   4月8日、繁殖者のヴィットリ―オ・ファブリーニさん(グイドさんの親友です)の所で、
   ラフコート(長毛)の子犬が8頭生まれました。
   知人から「いい子犬が欲しい」と頼まれていたグイドさんは、ヴィットリ―オさんの家へ
   子犬を見に出かけました。
   そして、あることで迷って・・・、日本の友人へメールを送ってきました。
     「困った。 これは難しい判断だ。
      自分は、次のセント・バーナードはスムース(短毛)のメスにしようと思っていたんだ。
      しかし、子犬達を見て・・・、心が揺れている。」
   日本の友人は生まれた子犬達の写真を見ましたが、無責任なことは言えないし、
   と考えている間に、またメールが来ました。
    イタリア 「気に入った子がいるんだ。 マチルダだ。
           でも、どうしたらいいんだろう。」
    日本   「グイド、決断の時だ。 マチルダを買う、ってさ! いい子だ。」
    イ    「よし、今、決めた。 マチルダを買う!
          ああ、しかし、この判断が間違っていなければいいんだが。」
    日    「正しい決断だよ。 フレー、フレー、マーチルダ!」

   マチルダは、骨太の、がっしりした骨格の子犬です。
   きっと、いいセント・バーナードになります。
   そして成長したら、グイドさんと一緒に グラン・サン・ベルナールを登るでしょうね。
   ザッネーラ家にたくさんの幸せが訪れますように!

                         今日はここまで、またね。
                                  Beethoven


ガストンとサン・ベルナール僧院



グラン・サン・ベルナール 左端の
グイドさんは別のバーナードと一緒
ベーからの手紙      
  No.85 JUN.27. 2003


元気ですか?
最近、つくづく思いました。
ヨハンは、1代目のベートーベンとも、僕とも、性格が全然違うんだなって。


   今年の春、ヨハンが他の犬達に取り囲まれて吠えられたり、飛びかかられたりしたことは、
   前にお話しましたよね。 (「べーからの手紙」 No.79をご覧下さい。)
   あの時も、ヨハンは自分はひと声も吠えもしないし、怒りもしない、
   ただママのそばにじっと立っているだけでした。
   あれには感心してたんですよ。
   僕や1代目のベーと違って、なんて我慢強いんだろう。
   ・・・でも、よく考えてみると、こうも思えてくるんです。
   ヨハンはママのそばに立っていたんじゃなくて、
   隠れるようにママの後ろにいたのかもしれない。
   そう言えば、ママが怒って相手の犬の飼い主さんに抗議している間、
   彼は少しずつ後ろに下がっていたような・・・。

   それは、つい先日の雨の日の出来事でした。
   ママは、開いた傘をヨハンにも差しかけるようにして、のんびり西公園を歩いていました。
   伸び放題だった草がきれいに刈り取られた公園は見通しがよく、
   他には誰もいないのが一目でわかります。
   いつもはうるさいカラスも、ハト達の姿もなく、雨の他はまるで動きが止まったみたいに
   静かでした。
   ふとヨハンが、鼻先を空中でぴくつかせました。
   そして、いつもは近付かない崖っぷちの方へゆっくりと歩き出しました。
   崖との境になっている植え込みにヨハンが顔を寄せた時、
   茂みの向こう側で影のようなものが素早く動きました。
   ヨハンがそれに気付いて立ち止まると・・・、目にも止まらぬ速さって、
   こんなことを言うんですね。
   シューッ!という音と共に何かが茂みの中から飛び出したかと思うと、
   その丸いかたまりはストンッ!とヨハンの目の前に足を着きました。
   白い炎のようでした。
   全身の毛を針のように逆立てた大きな猫です。
   殺気立った赤い両目でヨハンをにらみつけ、カーッと口を開けた時、
   のど元の肉が大きく裂けているのが見えました。
   ヨハンをやるつもりだ!
   死に物狂いの猫が、ヨハンを自分の敵と思い込んで彼の顔に跳びかかろうとするのと同時に、
   ママが悲鳴を上げて傘を振り下ろしました。
   でも開いてあった傘は、バフォンッと間の抜けた音を出して
   反対側に引っくり返ってしまいました。
   標的をはずされた猫は、「ンギャー!」 燃えるような背中を丸めたまま、
   もう1度ヨハンの正面に向き直りました。

   ヨハン! 君は、目を丸くして、あっけに取られた顔をして、
   手負いの猫を必死に振り払おうとしているママの後ろに黙って立っているだけなんだね。
   「ヨハン、おいで!」
   ママは引き綱を強く引っ張ると、ヨハンと一緒に走り出しました。
   公園の出口で振り向くと、他に人っ子1人いない雨の公園で、
   猫はまだこっちを向いて威嚇を続けていました。

   もし、これが1代目のべーだったら、迷わず格闘になって、
   きっと相手を打ち負かしていただろう。
   もし僕だったら、やっぱり格闘になって、多分相手に負けていただろう。
   ・・・まぁ、うちの家族の感想はともかく、ヨハンのようにおっとりしているのは、
   事故が起きなくていいことなのかもしれませんね。
   とにかく、何事もなくてよかったと思います。


                              今日はここまで、またね。
                                      Beethoven
サマーカットした2代目ベートーベン
ラフコートの2代目ベートーベン
サマーカットしたばかりのヨハン
ラフコートのヨハン
ベーからの手紙      
  No.86 JUL.15. 2003
 元気ですか?
 ミラノ空港発、途中、インドのデリーに寄って荷物を積んで、
 イタリアの航空機が日本に到着しました。
 7月13日、日曜日の朝です。
 ようこそ、Mercurio!
 (イタリア語読みはメルクーリオ、英語ではマーキュリー)
 およそ12時間もの長旅、疲れたでしょう。
          君は今日から、日本のセント・バーナードの仲間だよ。

パパとママのセント・バーナードの友人のYさんからこんなメールが届いたのは、
3月の初めのことでした。
Yさんは今、オスとメス、1頭ずつのバーナード犬を家族にしています。
美男美女で、体の作りも模様もとてもきれいなカップルなのですが、
残念な問題が起きてしまいました。
いくら待っても、繁殖をした人から2頭の血統書が届かないのです。
何度も頼んで、メスの血統書は、生まれてから1年近く後にようやく作ってもらえました。
でもオスの証明書は、2才になった今も届かないまま、連絡も途絶えているそうです。
問題は、もう1つありました。
オスのジャック君は、ほんの小さな子犬で家にやって来た時から、
右後ろ脚の様子がおかしかったそうです。
やがて,それは生まれつきの骨の病気であることがわかり、彼は脚の大手術をしました。
「この2頭で子犬を生ませるつもりでしたが、血統書はないし、脚の病気もあるし、
 残念ながらできません。
 スイスかイタリアの、健康なセント・バーナードの子犬が欲しいのです。
 手伝っていただけますか?」

僕達の遠いふるさとは、ヨーロッパのアルプス。
人気が広まってそこから世界中へ渡って行き、アメリカでは、ドッグショーにふさわしい、
見た目が美しく、少し小柄なバーナード犬が作り出されるようになりました。
今、日本にいる僕達の仲間の多くはアメリカタイプ。
Yさんは、祖先に近い国のセント・バーナードを日本に呼び寄せたい、と話してくれました。
ジャック君の手術で苦労を経験したYさんからの子犬の条件は、
「脚に先天的な問題がなく、健康であること。 ロングヘアーのオス。」です。

この話を聞いたイタリア・セント・バーナード・クラブの友人、グイドさんの返事はこうでした。
「わかった。 力になるよ。
 イタリアの犬であれば、私が直接子犬を見ることができるし、面倒をみよう。
 スイスが希望であれば、良心的な繁殖者の何人かと連絡をとってみる。
 『サン・ベルナール・ホスピス犬舎』(祖先の発祥の地)も紹介できる。
 ただしスイスは、あとは君達自身がやらなくちゃいけないよ。
 イタリアかスイスか、まずそれを決めてくれ。」

Yさんとパパは、電話で話し合いました。
「信頼できる人が間に立ってくれた方が、間違いないと思います。
 イタリアに決めましょう。」
Yさんの2頭のバーナード犬の事情を知ったグイドさんは、
誠実な繁殖者を選ぶことを約束してくれました。
「私の親しい友、そして絶対信頼できるヴィットリオ・ファブリーニの犬舎で
 出産予定があるんだ。 待っていてくれ。」

まもなく母親となるアリアンナは、「股関節に全く問題がない」というレントゲン検査の証明を
既に受けていました。
父親のクリフも、骨格は頑丈だし、これまでの子犬達に何の遺伝病も起きてはいませんが
「とにかく健康に問題のない子犬が欲しい」というYさんの希望を聞いて、
レントゲン検査を受けてくれました。
結果は、膝も、股関節も、すべて良好。

そして4月8日、アリアンナは8頭の子犬を生みました。5頭のメスと、3頭のオス。
血統書の名前は、その犬舎での繁殖の順番でアルファベットの頭文字が決まります。
アリアンナの今回の出産は13番目、だから子犬達には、Mで始まる名前がつけられました。
    Michelangelo,Maciste,Matilde,Mercurio....。
「どの子にするかは、子犬達の良し悪しが判断できる位大きくなるまで、
 もう少し待って欲しい。」

3頭のオスのうち、どの子が、遠い日本へやって来ることになるんでしょう。

                             今日はここまで、続きは、また後でね。
                                  Beethoven

生後1ヶ月のMercurio君

ドッグショーでは、こんな風に立ちます

YさんとMercurio君

Awa Dance って何?
ベーからの手紙      
  No.87 JUL.20. 2003

  元気ですか?
 日本の1番大きな犬の協会、ジャパン・ケネル・クラブへ聞いてみたら、
 イタリアから日本へセント・バーナードが輸入されたのは、
 今回が初めてのことだそうです。


   さて、話を続けましょう。
   4月8日に生まれたイタリアのセント・バーナードの子犬達、5頭のメスと3頭のオス。
   Yさんの希望はオスですから、3頭の中から日本へ来る子が選ばれます。
   可愛い子犬を抱き上げて、あなたなら、まずどこを見ますか?
   やっぱり、顔・・・ですよね。
   セント・バーナードとしての模様がきれいに出ているかどうか、と。
   イタリアから送られて来る子犬達の写真をパソコンの画面で見て、
   Yさんも、うちの家族も、「ミケランジェロ」と名付けられた子が1番美しいと思いました。
   「ミケランジェロがいいね。」

   ところが、繁殖者のヴィットリオさんの家へ足を運んだグイドさんの意見は違いました。
   「健康な子を望むなら、マーキュリーだ。
    ミケランジェロは確かにきれいだ。だが、骨が細くて、他の兄弟よりも体が少し小さい。
    マーキュリーは頭の作りが大きく、男らしくて、骨格がしっかりしている。
    体も1番大きい。私は、この子がいいと思う。」
   ハンサムなミケランジェロにも心を魅かれましたが・・・、
   Yさんが出した決断は、骨太なマーキュリーでした。

   マーキュリー君、君に決まったよ!
   生まれてから3ヶ月を過ぎないと、動物の検疫所を通ることができないから、
   君が日本へ来るのは7月になるね。
   飛行時間は、およそ12時間。 夏。 到着する空港は大阪。 検疫期間は2週間。
   生後わずか3ヶ月の、暑さに弱いセント・バーナードの子犬が、
   この最初の試練に耐えられるでしょうか?
   大阪はきっと、とても暑いに違いない。
   僕が若かった頃、仙台の訓練所に、スイスからセント・バーナードの小さな女の子が
   やって来たことがありました。
   その子は、空港の検疫所での検疫期間中に体が弱ってしまい、
   その後も、決して丈夫な犬ではありませんでした。
   心配をする日本の僕達に、グイドさんはきっぱりと答えました。
   「大丈夫だ。マーキュリーは、とても強い子だ。
    きっと、どんなストレスにも耐えられる。」
   そうか。 きゃしゃなミケランジェロでは、遠い国、日本へ送り出すのに不安が残る。
   でも、がっしりしたマーキュリーなら、航空機の貨物室の中での長時間の飛行も、
   アジアの蒸し暑さも、突然の環境の変化も、強く受け止めることができるに違いない。
   グイドさんは、そんな目でも子犬を選んだんですね。

   マーキュリーの成長の様子を確かめるため、グイドさんは休日に、
   何度かヴィットリオさんの家に通いました。
   そして、子犬達を見ているうちに心が揺れ出して・・・・(まだ読んでいない方は、
   「べーからの手紙 No.84」をご覧下さい。)、マーキュリーと一緒に生まれた女の子、
   マチルダを、自分の新しい家族にすることに決めました。
   ミケランジェロは、メスのモルガナと共にフィンランドへ旅立ちます。
   ミネルヴァは、ポルトガルへ。
   「これはまさに、インターネット時代の象徴だね。 
    ヴィットリオは、そのうちミラノ(空港)に事務所を構えなくちゃいけないなぁ。」
   イタリア・セント・バーナード・クラブ・マガジンの編集長のグイドさんも、
   なんだかうれしそう。8月号の記事の予定ができたのかな。

   「我々のセント・バーナードは、USAバーナードよりも、背は高く、そして大きくなる。
    たくさん歩くことが必要だ。
    USAバーナードは美しいが、山を歩く骨格は持っていない。」
   「太ったセント・バーナードは良く見える。
     でも、忘れないで。 決して太らせないように気をつけて。
    バーナードが完全に成長するのは、生後18ヶ月。
    太り過ぎは、成長期の柔らかい骨に害がある。
    股関節の病気は、遺伝によるものだけではないんだからね。」
   グイドさんも、ヴィットリオさんも、これから成長期を迎えるマーキュリーの体を思って、
   いろいろなアドバイスを送ってくれました。
   「成長期は、見た目にとらわれてはいけない。 あの子は大きくなる。
    くれぐれも、よろしく頼む。」

   マーキュリー君は日本で、頭と、体と、脚の、大きさや長さがヒョロッとした感じの、
   アンバランスにさえ思える大事な成長期に入ります。

                             今日はここまで、続きは、また後でね。
                                  Beethoven

マーキュリー君は、どの子でしょう?



ミケランジェロとマーキュリー

大工道具がいっぱいのイタリアの部屋

生後1ヶ月のマーキュリー
ベーからの手紙      
  No.88 JUL.29. 2003

 元気ですか?
 外国の人達とお付き合いをする時の言葉は、やっぱり英語です。
 他の国の言葉も使えればもっと楽しいでしょうが、
 英語がわかれば、たくさんの国の人と友達になることができます。


   今回のマーキュリー君の日本への旅立ちで、繁殖者のヴィットリオさんと日本との間に
   立って動いてくれたのは、グイドさんです。
   でも、生後3ヶ月になるまでマーキュリー君を育ててくれるのはヴィットリオさんですから、
   パパとママは、直接彼にメールを送ってご挨拶をしました。
   返事はすぐに来ました。
     「あなた達のことは、もちろん知っています。
      AISB(イタリア・セント・バーナード・クラブ)マガジンの2002年4月号の記事でね。
      我が友、グイドからもいろいろと話を聞いています。」
   偶然、セント・バーナードの他にも共通の話題があることがわかり・・・、
   ピアノのことでもお話をしました。
   ただそれ以降は、イタリアとのメールの相手は、やはりグイドさん。
   こちらからの質問にも「ヴィットリオに代わって私がお答えする。」という返事が来ました。

   いよいよ7月に入り、マーキュリー君が乗る予定の航空機も決まりました。
   7月11日のお昼にミラノ空港を発ち、大阪に着くのは12日です。
   旅立ちの1週間前、グイドさんは、マーキュリー君の最後の健康チェックに出かけました。
     「私は、明日からバカンスに出発するからね。
     後は、とにかくヴィットリオが自分で英語でメールを書くのに挑戦するさ。
     何も問題が起こらないことを祈っている!」
   ・・・なぜ、これまで本人からメールが来なかったのか?
   英語の指南役はグイドさん、ヴィットリオさんは英語が苦手なんです!

   そして出発直前の1週間、緊急のメールのやり取りが必要になりました。
   日本での犬の検疫期間は2週間。
   ヴィットリオさんは、
     「子犬がショックを受けないか?期間中どういう状態になっているのか教えて欲しい。」
   と、とても心配してきました。
   どれ・・、うん、文法が違っても、単語のスペルが少し間違っていても平気、
   ちゃんと通じます。
   Yさんは、検疫中にマーキュリー君の世話をしてくれる業者の人を探したり、
   あまり暑いようだったら移動クーラーの用意を、と入念な準備をしました。
   ただし、検疫を通るのに絶対必要な書類があります。
   輸出国の政府機関が発行した「健康証明書(狂犬病にも他の伝染病にも
   かかっていない)」と「30日以上前の狂犬病と他の伝染病の予防接種証明書」です。
   これがないと、検疫期間は2週間よりも長くなってしまいます。
   逆に、書類がきちんと整い、自宅で犬を隔離できる環境があれば、
   「自宅検疫」の許可が出ます。
   ヴィットリオさんは、マーキュリー君と一緒に日本へ届ける予定の書類を、
   大急ぎでメールで送ってきました。
   それをYさんが大阪の検疫所へ送り、確認してもらいました。
     「OKだよ!」
     「本当にこれで大丈夫なのか?」
   ヴィットリオさんはあくまでも、遠い国へ手放す子犬の心配をします。

   7月11日、トラブル発生。
   日本行きの航空機の出発は中止、翌12日の朝5時発に変更になりました。
     「今、マーキュリーと一緒にミラノから戻ったところだ。
      朝の3時までに、もう1回空港に入らなければ。
      私は、これからひと眠りするよ。」
   しかも! ミラノ発のAZ9048便は日本への直行便ではなく、途中、40度の熱波の
   インドのデリーに立ち寄るというのです。
     「また出発が1時間半遅れて、やっと飛び立った。そちらに着いたら、すぐに写真を
      送って欲しい。長時間の飛行後の健康状態を確認したい。」

   13日、マーキュリー君、無事大阪に到着。
   とても元気! よかった・・・。
   ようやくほっとしたヴィットリオさんは、ほんの短い夏休み、海へ出かけて行きました。

   マーキュリー君と一緒に日本へ届いたのは、イタリアで食べていたドッグフード、
   彼が寂しがらないようにオモチャが1つ、そして証明書類と1枚の家族写真。
   写真には、「マーキュリーの面倒をみて下さい。 モッラ家より」と裏書があります。
   マルコ・モッラ? モッラ・ファミリー? この人達は誰?
     「マルコは、近所に住む私のいとこ。独身で仕事で忙しい私のために、
      子犬達の面倒をみてくれているんだ。
      彼らは本当に子犬を愛し、マーキュリーを可愛がった。」
   なんて素晴らしいこの写真。 愛がいっぱいだ。

   イタリア 「今、バカンスから帰ったよ!マーキュリーはついに日本に着いたってわけだ。
          全部知ってるぜ。だって、バカンス先からずっとヴィットリオに電話を
          かけてたからね。英語のメールの指示は、この私が出していたんだよ。」
   日本   「ははーん、グイド、君がヴィットリオの英語の先生だったのか。
         彼の英語は、とても上手だったよ。私と同じ位にね!」

   日本からのマーキュリー君の写真を見て、イタリアからメールが2通届きました。
   まず、グイドさん。「素敵な写真だ。マーキュリーは・・・、王様みたいだな。」
   ヴィットリオさんは、先生を頼ることなく、直接英語でメールを送ってくれるようになりました。
     「マーキュリーは、Yさんの元へ行けて運がいい子だ。きっと幸せになる。
      いつの日か、きっと会おう。」

   グイド、ヴィットリオ、そしてモッラ・ファミリーへ心からの感謝を贈ります。

                                 今日はここまで、またね。
                                        Beethoven

ヴィットリオ・ファブリーニさん


マルコ・モッラ・ファミリー
イタリアからやって来たオモチャ
Yさんと庭を走るマーキュリー君
ベーからの手紙      
  No.89 AUG.13. 2003


 元気ですか?
 生まれてから3ヶ月間は北イタリアの空気を吸っていた
 マーキュリー君、日本の四国の暑さにも慣れたでしょうか?


   4月にイタリアのヴィットリオ・ファブリーニさんの犬舎で子犬が生まれてから
   彼とメールのやり取りをするようになったある日、パパとママは、以前、
   彼の名前をクラブ・マガジンで見たことがあるような気がしました。
   ええっと、何月号だったかな?
   イタリア・セント・バーナード・クラブ、AISBのクラブ・マガジンの2002年12月号の
   表紙は、アメリカのチャンピオン犬。
   ヨーロッパのセント・バーナードとは、体の作りや大きさがずいぶん違います。
   記事では、アメリカのドッグショーの様子が写真と一緒に紹介されています。
   ・・・あ、これだ、これだ。
   ほら、12ページと13ページ、記事の1番最後にヴィットリオさんの名前が載っています。
   この文章は彼が書いたんですね。

   実は、この12月号が手元に届いてパラパラとめくった時、13ページに、
   顔つきが僕とよく似た犬の写真を見つけてパパとママの手が止まったんです。
   アメリカのセント・バーナードだということは、ひと目でわかります。
   犬舎名は・・・Mondiale、モンディオール!
   昔、アメリカから日本へやって来た僕のおじいちゃんの血統書名は、
   ”モンディオール・ララミー”。
   この写真の犬は、今も変わらずに繁殖を続けている同じ犬舎の仲間、
   現在のアメリカン・チャンピオンです。
   長い年月がたっているのに、顔つき・体つきがよく似ている犬がずっと
   作り出されているんですね。
   他にも、ショーでチャンピオンを獲得したアメリカのセント・バーナードの写真が数枚、
   ヴィットリオさんは、どんな記事を書いたんでしょう。

          ”アメリカからやって来たセント・バーナードが
                               イタリアに住みついた”

    我々のセント・バーナード、つまり原種のセント・バーナードは、
    現在危機的状況にある。
    生まれてくる子犬達の中に、元々体の弱い子や、色素が弱い子が
    見受けられるようになってきているのだ。
    これは、原種同士の、血が近いセント同士の交配が長い年月繰り返されて
    きたからであろう。
    ノルウェー、フィンランドなどの北ヨーロッパに目を向けると、
    近年とてもいいセントが作り出されている。
    彼らは、原種のセント・バーナードとUSAバーナードとの交配によって
    生まれている。
    しかしイタリアには、これまでUSAバーナードは入って来なかった。
    なぜかと言うと、『USAなんて! あんなのはセント・バーナードじゃない。』
    という思いが、我々の国では非常に根強いからだ。
    今のうちに種の保存をしなければ、と私は思った。
    その方法は、USAバーナードの輸入、そして我々のバーナードとの交配である。
    しかし、骨格があまりにも原種とは違う、いかにもアメリカ的なバーナードとの
    急激な交配は、また危険である。
    原種としての血を残すために、私はアメリカで、原種に近い骨格と風貌を持つ
    USAバーナードを探した・・・。                  (翻訳協力 高梨光正氏)        

   ヴィットリオさんは、ノルウェーとアメリカのセント・バーナードとの間に生まれたオス犬、
   ジェロニモ君を手元で育て、彼は、7月に9頭の子犬の父親になりました。
   マーキュリー君達の次の出産です。
   純粋なUSAバーナードの子犬も、アメリカの有名な犬舎からヴィットリオさんの元へ
   やって来ました。
   「純粋なUSAバーナード」とは言うものの、アメリカの犬舎では、昔も今も、
   繁殖のためにイタリアのオス犬を輸入しています。
   つまり、イタリアの血は、USAバーナードの中に古くから流れているんです。

   体高(地面から肩までの高さ)が103cmにもなり、あまりにも骨格のバランスが
   悪い犬や、体高92cmで体重が100kg、と太り過ぎの犬など、
   最近のイタリア・セント・バーナード界の問題点もクラブ・マガジンでは報告されています。

   アルプスの山を登ることができる、原種のセント・バーナードの存在に
   非常に強い誇りを持ち続ける頑固なイタリアの人々に、30代の若き繁殖家、
   ヴィットリオさんの挑戦は受け入れられるでしょうか。

                                今日はここまで、またね。
                                  Beethoven

現在のモンディオール犬舎のオス

モンディオールの血を引く僕

アメリカからイタリアに来た子犬


生後4ヶ月になったマーキュリー君
ベーからの手紙      
  No.90 AUG.30. 2003

 元気ですか?
 今年の夏は雨ばかり。ずーっと雨が降っていました。
 家の裏山のイガ栗はいつもと比べるととても小さいし、
 柿の実も大きくなりません。お日様が顔を出してくれないから、
 ヒマワリがまだつぼみのままです。

   今日は、ヨハンの散歩コースをご紹介しましょう。
   店を出たら、大町交番の前から西公園へ、青葉山を左に見ながら大橋を渡り、
   国際センターへ到着。藤棚の下で水を飲んで、桜並木の遊歩道を突き当たりまで進みます。
   仙台二高の校舎が見えたら右へ曲がり、大橋よりもずっと長い、仲の瀬橋を渡ります。
   橋の途中で向こうの方にプールが見えてきて、渡り切ったら西公園のもう1つの出入り口。
   昼と夕方のこの早足の散歩、だいたい40分位歩いているかな。
   でも、雨の日と、気温が上がってとても暑い日は無理をしないで、
   西公園の土の上を1周して、広瀬川沿いを歩いて軽くすませます。
   だって、コンクリートの橋の上は雨が降ると滑りやすいし、暑いと、
   僕達犬のお腹への熱射がモワーッときつくなるんです。

   ほら、今年は夏の間中、雨降りだったでしょ?
   毎日、この軽い散歩コースばかり歩いていて・・・、どうなったと思います?
   ヨハンが太っちゃったんです。 あっという間に。
   これは、間違いなく運動不足です。
   立つと、横っ腹がまぁるく膨らんでいるのがはっきりわかります。
   体を横たえると、お腹がポコンと目立ちます。
   その上、僕の時とは違って、家族みんなでちやほやと甘やかして間食もさせるもんだから、
   太るのは当たり前。
   まったく、セント・バーナードと暮らしている他の人から相談されると偉そうなことを言うくせに、
   自分の犬は、たった1〜2ヶ月で簡単に太らせちゃうんだから。

   体を元に戻すためには、とにかく歩くこと!
   ダイエット作戦開始、今週の木曜日から40分の散歩コース復活。
   さらに・・、あーあ、気の毒に、ドッグフードの減量です。
   でも、久しぶりの国際センターは、なつかしいだろ、ヨハン?
   おや、藤棚の下のホームレスさんの顔ぶれが新しくなっている。
   にぎやかなカラス達は相変わらず。 ヘビの住みかもそのままだ。
   さぁ、水を飲んだら、また早足で歩くよ。

   去年、セント・バーナードの繁殖をしている人に、
   「日本のバーナード犬は、もっと歩かせる必要がある。」という話をパパがしたんです。
   そしたら、あきれた顔で、その人にこう言われました。
   「あんた、そんなこと言ったら、日本ではセント・バーナードを飼う人がいなくなるよ!」
                            
                               今日はここまで、またね。
                                      Beethoven

筋肉質の1代目ベートーベン




生後9ヶ月、まだ成長期の2代目ベートーベン

ひろとヨハン

パパはボス、ひろちゃんは友達