白バラの心   No.14

 
児童文学の翻訳に夢中になっていた頃、議員時代にはなかなか見せなかった、心からの笑顔があります。


若林ひとみが、中学時代に映画館で観た「サウンド・オブ・ミュージック」の世界に強く憧れ、
いつの日か映画の舞台となったザルツブルグを訪れようと心に決め、ついに夢がかなうことに
なったのは大学生の時。
ホームスティ先をあくまでもザルツブルグ近郊にこだわったため選択肢がなく、思わぬ苦労が待ち受けていました。
 「他の仲間は裕福な家に滞在して、お嬢様みたいに大事にされているんだって。
  私は、まるでペンションの住み込みの従業員、朝早くから忙しく働かなくちゃいけない。」
姉は1年を通して手の荒れがひどく、洗い物をする時はゴム手袋をかけ、病院の塗り薬をかかせませんでした。
ドイツの洗い場ではゴム手袋をかけることもできず、朝も、夜も、冷たい水で食器洗い。
姉からの手紙を読んだ母と私は、姉の手がボロボロになってしまうのでは、と心配しました。
 「ものすごく寒い早朝、『リンゴを拾ってきな』と外に出されて、リンゴの木の下に落ちている実を1人で拾うの。
  寒くて、手の指先が割れて、本当につらい。」
エプロンを広げてリンゴを拾う姉の姿に、私は「シンデレラ」の話を思い浮かべました。
ペンションを経営するおばあさんは、ホームスティの代償はちゃんと払ってもらうよ、というしっかり者でした。
後に、姉はつらい思い出のこのペンションを訪れて、かなりの高齢になったおばあさんと再会しました。
 「歩けないのに、口はまだしっかりしてた。 たいしたもんだわ。」

でも最初のドイツ訪問には、それから一生のお付き合いとなる、かけがえのない出会いもありました。
やがて「ドイツのお父さん、ドイツのお母さん、ドイツのお姉さん」と呼ぶことになる3人の方々とのめぐりあい。
姉のマンションの部屋の壁には、ドイツの3人の写真が所狭しと飾られていました。
あたかも、ドイツの家族に囲まれ、見守られながら暮らしているようでした。
ドイツ在住の日本人の知人から、電話でひとみの死の知らせを受けた時、ドイツの家族はこうおっしゃったそうです。
 「最期は、1人じゃなかったんだね。 よかった。」
妹がついていたという話を聞き、ほっとされたそうです。
ひとみのことだから、誰にも知らせずに1人で逝ってしまうのではないか、それを心配していたと。
毎年ドイツを訪れていた12月、「家族」のもとに姿を現わすはずの日に、なんの連絡もないまま
やって来なかったひとみ。 
こんなことは、今まで1度もなかった。 マンションに電話をかけても通じない。
まだ退院できずにいるのか、それとも・・・。  どんなにか心配なさったことでしょう。

ドイツのお父さんは、既に天へ旅立たれました。
お母さんは80代、お姉さんは60代、お2人がお元気なうちに、なんとかドイツに会いに行きたいという思いは
強いのですが、残念ながらなかなか行けそうにありません。

 
休日、自転車で出かけます。姉のお尻の下に座布団  多賀城から出かけた先は塩釜神社(毛糸のパンツ!)



姉は、オペラやクラシックのコンサート、バレエの公演にもよく足を運んでいたようです。
通訳の仕事もしていた頃は、世界的に名の通ったドイツのオーケストラや演奏家の日本公演で通訳を務めました。
クラシックバレエは、ファンとして協会の会員になっていたらしく、旅立ちの後しばらくの間、会報が転送されてきました。
本棚には、どっしりと重いバレエの写真集が何冊か遺されていました。
小学生時代、若林ひとみはクラシックバレエも習っていたんです。
多賀城から仙台のバレエスタジオまで、週末に母と小さな妹と一緒に通いました。
小学生だった私の娘がバレエを習うことになった時、かつて姉が発表会で身につけたチュチュとトゥシューズを
見せられたのには驚きました。
押入れにもぐりこんだ母が奥から引っ張り出したのは、少し色が変わってしまった数十年前の白い衣裳。
 「私が縫ったのよ。」 「ええ?! お母さん、バレエのチュチュまで自分で作ったの?」
 「よかったら、これ使っていいわよ。」  ・・・母の申し出は遠慮しておきました。

議員時代の肩が張ったスーツ姿の若林ひとみからは、バレエを踊る姿なんて想像できないでしょうね。
古いアルバムに、子供時代のバレエの発表会の写真があります。ステージ用の濃いメークアップをした顔。
この写真をみなさんにお見せしたら、さすがに姉から雷が落ちそうですので、これは内緒。

姉の小学生当時、東北の小さな町の子供としては、教育熱心な母の元、ずいぶんと習い事をした方だと思います。
ピアノとバレエの発表会は仙台の電力ホールで。 そろばんと習字も、きちんとおさらいをしました。
小学生の姉の見事な習字を部屋の壁に張った写真もあります。

なつかしいアルバムをめくっていて、ふと手が止まりました。
「クリスマス研究家」を名乗るようになった若林ひとみの原点は、自分が通った幼稚園の日曜学校で配られた
美しいカードだった、と本人が著作に記していますが、私が手を止めた写真は、その幼稚園の冬の学芸会。
年長組の出し物は、「キリストの生誕劇」。
白いベールをかぶる姉は、ひざまずく3人の王の後ろに、天の星を指差すようなポーズで立っています。
その指先は、将来自分が研究することになるクリスマスを示しているようです。

 
旧アメリカ軍の住居の前で、おそろいの手編みのセーター    なかなかの美人さんですねぇ。